夢で会えたら


久し振りに部活の練習がない休日の午後。昼間のTVはつまらないし、一人でボールを蹴る気も起こらない。ロードワークも済ませ、ホームズの相手も既にたっぷりとした。
特にする事もない退屈な時間。
こんな時にふと頭に浮かぶのが、あの能天気な金髪野郎の顔と言うのが我ながら癪だけど、昼間から一人でごろごろとしているよりはマシ、と自分に言い訳をして通い慣れた寺へと向った。

通り掛りのコンビニに立ち寄って、適当に商品を買い込む。新作スナックをついチョイスしてしまうのは新しモノ好きのあいつの影響か、と内心苦笑しながら。

寺の境内にある時代物の下宿所の玄関で声を掛けるものの、返事は戻って来ない。

『皆部屋に閉じこもってTVでも付けてたら声掛けられても、聞こえない時あるから』

だから勝手に入って来てもええよ。そんな風に前に言われた事を思い出して、古めかしい階段を昇る。こんな無用心な事で大丈夫なのか、ここ。

「シゲ、居るか?」

並んだ扉の一つの前に立つ。ノックして声を掛けるが、ここでも返事がない。

留守、か。

せっかくの休みなんだし、どこかに出掛けているのだろうか。あいつは俺と違って交友関係が広いし、遊ぶ相手にも不自由していないみたいだし。それとも何か助っ人の仕事でも入っているのかもしれない。

連絡をしないでいきなりやって来たのは俺の方だから、シゲが居なくてもそれはしょうがない事だ。

そうは思いつつも、人がせっかく来たのに出掛けてるのかよ、と自分勝手な八つ当りをするのは思いの外がっかりしている自分が居るからだ。コンビニのビニール袋を見下ろして、万年金欠野郎の為に差し入れくらい残して置いてやるか、と勝手知ったるシゲの部屋。その引き戸をそろりと開いた。

薄暗いそこは無人の空間、ではなく部屋の真ん中に敷いた蒲団の中で眠る部屋の住人がいた。

「…寝てるし」

一瞬呆れて目を見開いた後、なんとなく足音を忍ばせて部屋の中に入る。既に昼をとっくに過ぎている時間にも関わらず、シゲが気持ち良さそうに寝息を立てながら丸まって寝ていた。枕元に近付いて腰を下ろす。畳に下ろした時にビニール袋がカサリと音を立てた。

「お前、いつまで寝てんだよ。もう1時過ぎじゃねぇか」

返事は期待しないままにシゲの寝顔に顔を近付けながら話掛ける。返って来たのは規則的な寝息だけ。その穏やかな寝息と、酷い寝相から風邪とかで寝ているわけではなさそうだ。寝顔をじっと見つめる。

俺は普段通りに起きてロードワークも終えて、汗も流して。食事もきっちりと摂ってそれから来たと言うのに、その間こいつはぐーすかと呑気に眠っていたのか。
速攻起こしてやろうとも思ったけど、目の前にある寝顔が余りに幸せそうで。その眠りを壊すのも可哀相な気がして、掛けようとした声を止めた。

「…なんか、珍しいもん見てる気がする、俺」

掛け布団をぎゅっと抱き締めて、眠る姿がそこにある。金色の髪が枕一杯に広がっている。なんだかその姿がとても可愛いのだ。自分の口元が綻んでいるのが分かる。

人を事ある毎に、ぼんだぼんだと子供扱いしてくるシゲ。そう言われる時は決まって自分でもそうだと分かっているので、必要以上にムキになってしまう俺。

『ほら、やっぱりそんなとこがぼんや』

そう言いながらシゲはいつも笑う。それが上手くかわされてる様で、益々ムキになってしまうのだけれど。

普段からこいつは余裕があって物事に動じないで。そして偶にハッとする程大人っぽい顔を見せて。そんなこいつに一喜一憂しているのは俺だけみたいで、それがまた悔しくて。

でもここで寝息を立てているシゲの顔は、年相応に、と言うかそれ以上に幼い顔で。お前もこんな顔出来るんだな。人の事を子供だ子供だと言うお前だってこんなに子供っぽい顔をしているじゃないか。こんなに子供の部分を残しているじゃないか。

目を醒ましたらそんな事を言ってやろうか。シゲ、そうしたらお前はどんな顔をするんだろうな。

顔に被さっている金色の髪をそっと除けた。途端に見つめていたシゲの表情がふっと緩む。その口元が笑いの形を作っては何かを呟いた。寝言?

どんな夢を見てるんだ。こいつは。そんな柔らかな表情で。何かいい夢でも見ているのかな。

不明瞭な声を発している口元に耳を寄せる。すると小さな囁きの中から聞き取れたのは。

「…たつ、や」

の3個の音だった。

その音が耳に入って脳に届くまで数秒。そしてその音が持つ意味を理解するまで更に数秒。眠っているシゲが呟いた言葉は、自分に取って最も身近な響きを持った言葉だった。それが分かった瞬間、顔に一瞬にして熱が集まった。寄せていた体をがばりと起こしてシゲから離れる。

今、こいつが言ったのは俺の名前か?こいつがこんなに幸せそうな顔をして口から出て来たのは自分の名前なのか?
普段は自分をふざけた名前で呼ぶくせに、こんなに柔らかい顔でそんな風に言うなんて、お前、それは反則だろう。

その時シゲの口元が再び動いて、熱い顔と跳ねる心臓を持て余していた俺は、思わずその金髪の頭を力任せに叩いてしまった。

「…シゲ!いつまで寝てんだよ!とっとと起きろ!」

途端に勢いを付けて跳ね起きたシゲが何?何事?と慌てた声を出す。

「お前、もうとっくに昼過ぎだぞ。寝過ぎだろ」
「…え、あれ?…たつぼん?」

寝起きのいまいち締まらない顔と目で俺に視線を向ける。その余りの慌て様に小さく笑ってしまった。あれ?とシゲが枕元の目覚ましに手を伸ばした。

「…えーと。今日、約束しとったっけ」
「別にしてねぇよ。偶々お前んちの前を通ったから様子見にきただけだ。そしたらお前、ぐーぐー寝こけてるんだから」

偶々なんかでは全然なくただシゲに会いに来たんだけど、そんな事は素直には言ってやらない。

あー、びっくりした、とシゲが目を閉じながら両手を上げて伸びをした。その後に盛大に欠伸をする。

ほらよ、差し入れ、と小さな白いビニール袋を渡す。お、サンキュー、と嬉しそうにシゲがそれを受け取った。

「いくらなんでも寝過ぎだろう。放っとけばいつまで寝てるんだよ、お前は」
「偶にはええやん。久し振りに朝練なかったんやし、これくらい」
「俺なんかいつもと同じ時間に起きてもう走って来たぞ。そもそもこんな時間まで寝てたら体が腐る」

小声で、たつぼん、年寄りっぽい、との声が聞こえたので、さ、持って帰ろうかなー、とシゲに渡したビニール袋を取り返す振りをした。

「あ、嘘です。たつぼんたら、スポーツ選手の鏡。健康的。さすがキャプテン、俺も見習わなー」

よっ、上水中のプリンス、やる事成す事男前、とシゲが余りにも見え透いた事を言うので、やめろ、と笑いながら袋を返す。
その足で窓の方へ向い、締めっきりになっていた薄いカーテンを開いた。昼間の明るい光が部屋の中に流れて来る。

「ところで、お前。顔くらい洗ってこいよ。髪もいつにも増してぼさぼさだぞ」

袋を物色していたシゲが、スナック菓子を開けようと手にしていた所で声を掛けた。

「いつにも増してって失礼な。いつもはきっちりとセットしてるやろ、俺」

あれの?どこがだよ、と笑ってやると、ひど、と軽く唇を尖らせる。そして、しゃーない、そんならちょっと行ってくるわ、とのそのそと立ち上がった。

「男前になってくるわ」
「よく言う。…あー、ところで、シゲ」

部屋を出ていこうとするシゲの背中に声を掛けると、何、と顔だけをこちらに向けて返事が返ってきた。

「あー、今、お前な」
「うん?」
「お前…」

『今、何の夢見てた?』
『夢に俺、出て来てた?』
『…俺の事、名前で呼んだ?』

「何?たつぼん」

頭の中での質問を実際に口に出来ず、黙ってしまった俺を訝しがって、シゲがこちらを見遣る。

「どした?」

…言えるか。夢の中で俺の事名前で呼んでた?なんて。

「…なんでもねぇ。早く顔洗って来い。俺が一人で食っちまうぞ」

早く行け、と手で追い払うと、呼び止めたのそっちやーん、と抗議の声が挙がる。

ったく気紛れなぼんやなぁ、とぼやきながらシゲが引き戸を閉めて出て行った。足音が遠ざかる。狭い部屋に静かな空気が満ちた。

『ぼん』

その呼ばれ方に安心して笑いが漏れた。すっかり定着させられちゃったな、俺。

普段はそんなふざけた呼ばれ方しかしてなくって。最初のうちは抵抗した。そんな呼び方をするなと。

そんなふざけた名前じゃなくって、ちゃんとした名前で呼んで欲しいと思う事も実際ある。でも意識のないシゲに呼ばれただけでこんなに心臓が跳ねるのなら、視線をちゃんと合わせて呼ばれたら、どんなになるんだろう。それを思うといつもの呼ばれ方で十分だ、と思わずにはいられない。

そして想像してみる。夢の中で、シゲにたつやと呼ばれた俺は。一体どんな顔でその名前を受けとめたのかな。


終(2006/03/22)
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