ゆきうさぎ
朝、冷たい空気で目が覚めた。カーテンを開けると目に入ったのは白い世界。空からは次々と落ちて来る小さな結晶。降り続ける雪が辺り一面を覆っていた。
私が起きた時にはもう積もっていたよ、とは祖母ちゃんの言葉。ブーツはこれで大丈夫とか、コートはあっちの方がいいとか出掛けに騒いでいる孝子と百合子の会話を聞くとはなしに聞きながら、朝食を摂る。
この様子ではグラウンドは使えないだろう。体育館は他の部の割り当てが決まっているし、今日の練習はどうしようか。考えていた練習メニューが台無しだ。こんなにいきなり降らなくても、と自然に対して理不尽な事を考えつつも、実は気分が弾んでいるのが自分でも分かっている。
だって雪なんてほとんど降らないし、滅多に積もる事もない。ダイニングの窓から見える白い塊は止む気配を見せない。次から次へと仲間を伴って落ちて来る。久し振りに見る冬の風物詩に心も弾むという物だ。
暖かくして行きなさいね、と母さんの言葉を受けて玄関を出る。辺り一面白い雪景色。冷たい空気とふわふわとした塊が顔に当る。
前を見れば、その白い世界の中に溶け込んでいる金色があった。降りしきる雪の中、玄関前でシゲが蹲って何かをしている。その両手には固められた雪の塊。
「…何やってんの、お前」
雪に足跡を付けながら、数歩歩いてシゲの側に近付いた。お、おはよ、たつぼん、とちょっとだけ顔を上げて直ぐにまた視線を落とす。一緒にシゲの手先を見遣ると、両手の平サイズの半円球の雪の塊。辺りの雪を集めてそれを固めて、撫で付けて、形作っている。
「雪だるま?にしてはちょっと形が変だけど。て言うか、お前ヒトんちで何やってんだよ」
先ほど聞いた問いをもう一度言うと、んー、もうちょい待ってな、なんて呑気な声で返事が来た。ヒトの家の玄関先で雪を弄っている、それも楽しそうに、の金髪の上に雪が降る。
上を見上げれば灰色の空に無数の白い点。自分の口からもシゲの口からも白い吐息が漏れる。寒い冬の朝。
「それにしてもお前早いじゃないか。まだ大分余裕あるぞ。いっつも朝、ぎりぎりなのに」
「寒くって目ぇ覚めてしもた。部屋の中まで、めっちゃ冷えてて」
立て付けのあまりよくないシゲの部屋だ。かなり寒かっただろう事は簡単に想像出来る。
そのまま二度寝しなかったの偉いやろ、なんて呆れた事を明るい声で言う。そんなの当たり前だろ、とそっけなく言ってやる。ひょっとして、シゲも雪が降ったのが嬉しかったのだろうか、なんて思った。自分と同じように。
こんなもんかな、と雪を頭に乗せた金髪が立ち上がる。さほど大きくない半円球の塊を持って。
「何、これ?」
んー、と言いながらシゲがジャンバーのポケットに手を突っ込んだ。その中をごそごそと探る。
寺に切り枝あったねん、とポケットから出した握った手を開く。手の平を覗き込むと赤い小さな実が二つと、あまり活きのよくない葉っぱが二枚あった。
「ちょっと頂いて来た」
「何の実?」
「確か南天」
言いながら人差し指で雪を押して幾つか小さな穴を作る。そこにちょこんと赤い実を埋め込ませると、小さな赤い目になった。
「雪うさぎ?」
そ、と更に葉っぱの耳を差し込むと、両手の平サイズのウサギが出現した。
さっきまで只の雪の塊だったのに、こんな小さな実を埋め込むだけで、表情が出るから不思議だ。小さな目としょんぼりした耳で、何だか眠そうに見えるぞ、お前。
「可愛いな」
「そやろ」
思わず口元が緩む俺に、シゲが、はい、とウサギをこちらに差し出した。
「これはたつぼんにあげる。こういうの好きやろ、自分」
「どうも…」
好きやろ、と決め付けられたけど、こういう物が特別好きなわけではないし、シゲに好きだと言った事もない。それでもニコニコと笑顔のシゲにそんな事を言うのも野暮な気がして、簡潔に礼を言って素直にそれを受け取った。実際可愛いし。
「それにしてもお前、わざわざここに来て作らなくても。寺の境内の方が沢山雪あるんじゃねぇの?」
「それはそうなんやけど。こんな事一人でしてるのも淋しいし、このうさぼんはたつぼんに捧げる為に作ったんやし」
俺の手の上にある物を指差して。
「…お前、うさぼんかよ。センスのない名前付けられたな」
「いい名前やん」
「どこがだよ」
表情は眠そうだし、名前はヒネリがないし。なんだか冴えないな、と心の中でウサギに話し掛ける自分に笑った。
玄関脇にそっとうさぼんとやらを置いた。引っ切り無しに降り続く雪が、小さなウサギを覆い尽くさない場所に。母さんや祖母ちゃんが見付けたら、何なんだろうと驚くだろうな。
シゲの方へと向き直ると、手袋をしていない手の平にハーッと息を吹き掛けている。見ればかなり手が赤い。素手で雪を触っていたのだから、当然と言えば当然だけど。
「お前、手袋してこなかったの?」
「部屋出て来る時探したんやけど、見付からなくって。どっか奥に仕舞いこんだらしいわ」
どこに仕舞ったかなぁ、なんて言いながら手を擦り合わせて。
「いつもだらしなく、物をその辺に置いとくからだろ」
「そんな事言ったって、最後に手袋使ったの何ヶ月も前だし」
僅かに拗ねた様な口調が子どもっぽい。偶にシゲが見せる幼い仕草。柄にもなく可愛いと思わせる瞬間。
その子どもモドキが、何かを思い付いたような悪戯っぽい表情を浮かべた。
「な、たつぼん。手、あっためて」
にっこりと笑いながら、両手をこちらに差し出す。
「俺が?なんでだよ」
「やってうさぼん、プレゼントしたやん。言わば、たつぼんの為に冷やした手やし」
あー、冷た、と大袈裟に震える真似をして。
別に俺がうさぼんとやらを作ってくれ、と頼んだわけじゃないし。どう見ても、シゲ自身が雪で遊びたかっただけに違いないし。
俺を見るその顔はニヤニヤと面白がってる表情で。きっと俺が照れて、ばーかとでも言うと思ってるんだろう。
それならば。
「お?」
嵌めていた手袋を取って、素手でシゲの伸ばされた手に触れる。たちまち伝わる氷のような冷たさ。一気に自分の手に冷気が走る。
「冷たー。何だよ、お前。冷え過ぎだろ、これ」
文句を言いながらシゲを見ると、目を見開いて驚いた顔があった。
「…何、びっくりしてんだよ」
「やって、たつぼんが手ぇ握ってくれるなんて思わなくって。シゲちゃん、驚いてしもた」
「お前がしてって言ったんじゃねぇか」
「や、言ったけど。ほんまにしてくれるとは思わなかったわ」
「…俺は期待を裏切る男なんだよ。予想通りだとつまんないだろ?」
ぶっきらぼうに言うと、それもそうやな、とシゲが可笑しそうに笑った。シゲの冷たさと俺の暖かさが、交じり合う。
あったかーい、と目を細めて、心底気持ち良さそうに言うシゲの言葉に、恥かしさが込み上げる。自分の取った行動に照れる。もういいだろ、と手を離そうとすると、まだ、もうちょっと、と反対に手を握られた。
自分から手を握っておいて、シゲから同じ事をされると心臓が無駄に跳ねた。
「…少しはあったまったから、もういいだろ」
「まだ」
「俺が冷たいんだけど」
「もうちょっと。もうちょっとだけ、たつぼんのあったかさ、頂戴?」
な、と目を見つめられて、更に心拍数が上がる。顔が赤くないだろうか。
「…後、少しだけだからな」
俯きながら、了解、と言うシゲの嬉しそうな声を聞いた。
白い雪がシゲの金髪と俺の茶色い髪の上に降る。多分赤い俺の頬と、赤みの残るシゲの手の平。冷たい手と暖かい手を握り合わせた俺たちを、小さなウサギだけが見ていた。
終(2008/02/18)
お世話になっているしろさんに捧げます。