優しい感触


陽の落ち掛けた夕方。サッカー部部室にて。

練習の後、たっぷりと汗をかいたTシャツを着替えて、少し前まで部員たちでにぎやかだった部屋も今はしんとしていて。いつものように部誌を書く俺と、それを待つシゲの二人だけが居る。いつものように腹減っただの、疲れただのとうるさい金髪を適当にあしらいながら、シャーペンを走らせる。いつものように部誌のスペースは文字で埋めたけれど、そのスピードは実は記録的に速かったりする。だって、今日は俺も早く帰りたい。

軽く片付けをして部室を点検して、後は帰るばかり。そんな俺の様子を見てシゲが、ほな、帰ろうか、とパイプ椅子から腰を浮かせ掛けた。その動作を一旦止める。

「あ、シゲ、ちょっと待ってくれ」
「何?」
「ちょっと座って」

何?と言いながらも、素直に座り直すシゲの後ろに立った。ほら、あっち向いて、とこちらを向こうとする金色の頭を向こう側に回す。

「目隠しして、『だ〜れだ?』『う〜んと、たつぼんかな〜?』みたいな会話でもするん?」
「誰がそんな事するかよ」

あまりのくだらなさに思わず笑ってしまった。誰がするか、そんな事。そうじゃなくって。

「お前、髪ぼさぼさだから」

不揃いに、中途半端に伸びた明るい色の髪。それをヘアゴムで結んでいるけれど、激しい練習の動きで長い髪はやや乱れ気味だ。

だから、結び直してやるよ、と、金色の髪を縛っていた黒いゴムを外した。

「へー、珍しい。つーか、こんな事初めてやねぇ」

シゲが驚きの声を上げた。確かに俺がこんな事をするのは珍しい。というか、初めてだ。まぁ、偶には、と適当な返事を返す。珍し、珍し、と面白がってるシゲの声が聞こえた。

頭のてっぺんから髪の流れに沿って、指で何度か髪を梳かす。金色の上の方に黒いのがあるけど、いつも地毛ですと言い張ってる佐藤君。この黒いのは一体何ですか?

硬くてぱさついてて、自分のそれとはまるで違う髪質。ゆっくりと何度も指を上下する。指に感じる感触が心地いい。こんなに硬いのに。こんなにぱさついているのに。お世辞にも綺麗な髪とは言えないのに(色は派手だけど)。

それでも心地良く感じるのは、シゲの髪だからだ。シゲを形成している一つのパーツだからだ。だから、どんな髪質であろうとも、指に感じる感触はこんなにも心地いい。

ひょっとしてシゲも同じような事を思っているんだろうか。口の減らないこいつが、俺が髪を触り出してからずっと大人しい。黙ってされるがままになっている。俺と同じような事を思っていたらいいな、と思う。

いつもこのくらいの高さの所で髪を結んでいたっけ、と思う辺りで髪を纏めた。左手でヘアゴムを2重巻きにすると、少しゴムが余ったのでもう一回りさせると結んだ少し上の髪が浮いてしまった。これは美しくない、ともう一度結ぶと、今度は微妙に真ん中より左側の方で結ばされている。これも美しくない。

「たつぼん、もうええ?」
「いや、もうちょっと待て」

ここで持ち合わせの完璧主義がむくむくと湧き上がってくる。こんな中途半端ではいけない。やるならやるで完璧に、と自分のスポーツバッグから普段持ち歩いているブラシを取り出した。

「いや、たつぼん、そこまでせんでも…」
「いいから待ってろ」

『そこまでせんでもええから』の『ええから』の部分を遮って、再びシゲの後ろに回った。何やの、ほんまに、という抗議のぼやきは無視する事にする。

後頭部から毛先まで何度かブラッシングを滑らせる。今度こそ、と力を込めて髪を一点でまとめると、

「たつぼん、痛い」
「あ、悪い」
「そんなに引っ張ったら、髪、抜けてまう」

悪い、悪い、と謝りながら、指の力を抜いた。これは案外力の入れ方が難しい。力を入れ過ぎると痛いみたいだし、入れなさ過ぎると緩んでしまう。

考えて見たら、自分の髪は勿論、人の髪も結んだ事など今までにない。こんなにゆっくりと、人の髪を触るのも初めてだ。これもいわゆる一つの初体験だ。シゲ、お前と一緒に居ると、初めてする経験が沢山あって、疲れるやら楽しいやら恥ずかしいやら、色々と俺は大変だ。

恥ずかしいやら、を思い出して顔に血が集まったのは置いといて、結びの位置はこれ位、と定める。どこにも緩みはない。ゴムの巻きは3回で。一気に結び付けたゴムは、なかなか綺麗に金色の髪を納めている。髪の乱れもほとんどない。これなら及第点だ。

「よし、出来た。オッケー」
「お、サンキュー」

こちらを向いたシゲの顔は笑顔だ。上手く出来た?との問いに、完璧、と答えると、その笑顔が更に広がった。

「ちょっと苦労しとったようだけど」
「全然。こんなのちょろいだろ」

えらそうにそう言うと、さよか、と言いながらシゲが可笑しそうに笑った。まぁ、確かにちょっとだけ苦労したかもしれない。ほんのちょっとだけ。

「今日はなんでこんな事してくれたん?」

髪のしっぽの部分を引っ張りながらシゲが聞く。

「特別サービス」
「何の?」
「お前の誕生日だから」

覚えててくれたん、とシゲが嬉しそうに言った。勿論覚えている。忘れるはずがない。もうずっと前からこの日の事を考えていた。何を贈ろうか。どういう風に過ごそうか。好きなやつの誕生日なのだから。忘れるはずがない。

「たつぼん、なーんも言ってくれへんから、忘れられてるかなー、思って」

シゲちゃん、切なかったんやけど、と萎れる動作がわざとらしい。

「いや、俺だって早く言いたかったけど、お前朝練遅刻してくるし」
「あれ?そうだっけ?シゲちゃん、今日遅刻した?」
「しただろ、大幅に。今朝の事もう忘れたのかよ」

あれー、そうだっけ?なんて首を傾げているけど、シゲの朝練の遅刻は今日に限った事ではない。遅刻してでも来る方がまし、な位さぼりも多い。しょうがないやつ、と苦笑混じりのため息を吐いてやった。

尤も、『早く言いたかった』なんてシゲには言ったけど、それは口だけで。実際朝練の時は回りに部員が沢山居るし、その中で誕生日おめでとうなんて言い辛い。最初っから、その言葉を言うのは部活が終わってから、二人だけになってから、と決めていた自分がちょっと恥ずかしい。

でもお祝いの言葉を告げるなら二人きりの方がいい。お前が生まれてきてくれて嬉しいと。お前がここに居る事が嬉しいと。普段はそんな事はとても言えない俺でも、今日だけは心から言いたいから。

最近、日課になっている部活帰りの、コンビニに寄ってからの公園での買い食い。今日のコーラは俺の奢りだ。シゲの好きな棒付きアイスも付ける。ささやかだけど、悩みに悩んだ誕生日プレゼントもその時に渡そうか。その後は、うちに行って母さんに頼んでおいた、シゲへの誕生日のご馳走を食べる。我ながら、中々のプランだ。さぁ、ゆっくりと帰りながらこれらのサプライズをシゲに言おう。喜んでくれるといいけど。

の、前に一つ。言わなければ。

スポーツバッグを肩に掛けながら、ほな、行こか、とドアに向かおうとするシゲに声を掛けた。

「なぁ、シゲ」
「何?」
「あの、さ」
「うん?」
「もう、さ。俺じゃない他の子に、お前の髪を触らせないで、欲しいんだけど」

は?とシゲが目を丸くした。

午前中の休み時間。通り掛かった2−Aの教室で目にした光景。シゲがクラスの女子に髪を結んで貰っていたのだ。二人とも笑いながら。その光景を見たのはほんの一瞬。直ぐにその場を離れたけれど、脳裏に焼き付いてしばらく離れなかった。俺じゃない子に触れられるシゲ。楽しそうな笑顔。嫌な思いが込み上げた。

あー、そう言えば、と視線をさまよわせながら、小さな声でシゲが言う。

「見とった?」
「偶々、通ったんだよ」
「いや、あの子、俺の後ろの席の子でな。シゲちゃん、髪バラバラになってるから、直してあげる言うて」

別に俺がやってて頼んだわけじゃないで、と慌てた声で。多分そうだと思う。愛想はいいし、普段へらへらした印象があるシゲだけど、やたらと誰かに触れたり触れさせたりなんて事はしない。

ただ、シゲが頼んだのではなくても、その女子は、シゲの事が好きだからそんな事をしたのかもしれない。そうじゃないにしても、その子には特に深い意味はなかったのかもしれないけど、俺以外の誰かに髪を触れさせるなんて事、断って欲しかった。自分でやるからいい、と。

「でも、何かヤなんだけど」
「そっか、ごめんな」
「別に、お前が謝る事じゃないけど」
「今度からは断るから」
「うん」

そうしろ、とぶっきら棒に言うと、分かった、と優しい声で。こんな風に言われると、自分は子どもで、それをシゲになだめられてるようで微妙にむかつく。でも、本当の気持ちだからしょうがない。シゲは俺のなのに。俺だけがシゲに触れていいはずなのに。

でも、こんな事を言って呆れられただろうか。シゲにも、その子にも大して意味のない行為だったかもしれないのに。わざわざ持ち出して、何てうるさいやつと思われただろうか。そう思ってシゲの顔を見ると。

「…で、なんでお前はそんなににやにやしてんの?」

目の前のシゲの顔は、やけに締りがない。

「え、いや、たつぼんが俺の誕生日を覚えててくれたり、髪を縛ってくれたり。それだけでも嬉しいのに、珍しくヤキモチまで焼いてくれて。なーんや、嬉しいなぁ思たら、つい顔が、こうなってな」と、締りのないにやにや顔は絶賛持続中だ。

ヤキモチ、という単語が気に障って、そんなんじゃない、と反論しようとしたけど、シゲの本当に嬉しそうな顔を見てたら、別にどうでも良くなってそのまま口を結んだ。確かにヤキモチだし。それ以上でもそれ以下でもないし、正しくその感情だし。

「そー、そー。ヤキモチ、ヤキモチ。だからもう、他の子にはさせるなよ」
「あら、言い方は素直じゃないけど、言ってる事は素直やね」
「どっちだよ」
「どっちのたつぼんも、好きよ」
「…何、言ってんだよ、お前」

『好き』と不意打ちを食らって顔がちょっと熱くなる。それに気がつかないはずもないシゲが、小さく笑った。むかつくやつ。

「さ、帰ろうぜ。腹減ったし」

悔し紛れに、勢い良くバッグを持ってドアへと向かう。後ろで、そやね、とシゲの弾んだ声がした。きっと顔は笑顔のままだ。さぁ、帰ろう。シゲの誕生日が終わるまでまだ何時間もある。一緒にこの日を祝おう。シゲと俺と、二人で。


さっきシゲは、俺が珍しくヤキモチを焼いたと言った。全然珍しくなんかない。ヤキモチなんか、いつも焼いている。ただ口に出さないだけで。シゲが俺じゃない誰かに笑顔を見せるだけで、胸の中がチリチリと焦げる。

俺以外に笑い掛けるな。俺以外と話すな。俺以外を見るな。本当はそんな風に思っている。いつも、いつも。口に出さないだけで。

でもそんな事は無理だから。そんな事は言えないから。せめて髪に触らせるな、くらいは恋人として言って当然、というか可愛い物だと思う。

シゲのクラスメートが結んだヘアゴム。あの後シゲが結び直したかもしれないけど、あの子が触れたままだったかもしれない。そう思うとイヤだった。誕生日の特別サービスなんて言ったけど、そのままにしたくなかっただけだ。自分の手で直したかっただけだ。俺じゃない他のやつが触ったシゲの髪を。

さっき触れたシゲの髪。硬くてぱさついてて傷んでいて。それでも指に手に心地良かった。自分に取ってはとても優しい感触だった。それはシゲの髪だからだ。シゲを形成している一つのパーツだからだ。あの感触は俺だけのものだ。他の誰にも渡さない。


終(2012/07/08)
美容師さんとかは、という突っ込みはなしで。
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