月に追われて


春の夜。
暖かな空気と、柔らかい風。

頭上に広がるのは、塗り潰された濃紺の空に、そこだけくっきりと切取られた象牙色の綺麗な円形。どこにも欠けがないように見える孤の描かれ方は、今日は満月だからだろうか。

校門を出てそれに気付いた時から、少しも変わらない距離感のまま俺たちを少し後ろから追う。

「…どうしたん、たつぼん」

歩調が緩んだ俺に、隣りで歩いていたシゲがのんびりとした声で問う。明るい日の下では輝く髪も、今はその本来の色を隠して。

「うーん、今日は月が綺麗だなと思って」

滑らかな曲線。淡い光彩。濃紺の夜空に浮き上がる、鮮やかな存在。

「今日は満月かな」
「あー、そやな。真ん丸やな。…なんや饅頭思い出してしもた。こんなん見てると、饅頭食いたくならへん?」
「……そうだな」

一瞬二人で空を見上げた後、風情の欠片もないとてもシゲらしい返事が来た。尤もこいつにそんな事を期待する方が無駄という物だけど。

見上げる夜空。道に長く伸びる二人分の影。

何となく昔の事を思い出してしまったのは、やっぱりあの日もこんな風に綺麗な月を二人で見上げていたからだろうか。

「…そう言えば子どもの頃にさ」
「うん?」

二人でゆっくりと歩き出す。月も一緒に俺たちを追う。

「夜に父さんと一緒に歩いてたんだけど。ほら、月って結構歩いても距離感変わらないだろ?いつ見ても同じような所にあるじゃん」
「まぁ、そやな」
「それが不思議でさ。なんか自分たちの後、付いて来てるみたいで。どうしてかなって父さんに聞いた事があるんだ」
「そしたらお父ん、何て言ったん?」
「きっと竜也の事が好きなんだよって」

こんな風な綺麗な月の夜に、そんな事を言われたっけ。好きだからずっと一緒に付いて来てるんだよ、と。ほんの小さな子どもだったから、そんな風に言われて結構嬉しかったな、なんて思い出してたら。

隣りの金髪が、ぷっと吹き出して、そのままけらけらと笑い出した。腹を押さえて如何にも可笑しそうに。

「ほ、ほんまにー?」
「…なんだよ。ほんとだよ」
「いや、だって。…あのいっつも眉間に皺寄せてる鬼監督も、…ぷぷぷ、そないに可愛い事、言ってたんやなー、思たら」

可笑しさを堪えながら途切れ途切れに言った後で、また盛大に笑い出す。確かに今の親父や、俺たちの関係からは想像し難いだろうけど、俺たちだってそんな可愛らしい時代があったんだ。

ツボに嵌ったらしく、一人で笑っているシゲを置いてさっさと歩き出す。後ろから、待ってー、たつぼんと笑いを含んだ声がした。

「一人でいつまでも笑ってろ」
「それじゃシゲちゃん、淋しいやん」

一人で淋しがってろ、とそっけなく言ってやると、淋しいのいややん、なんてへらりと言いながら俺の隣りに並ぶ。顔には笑いを乗せながら。

「拗ねんといて、たつぼん」
「別に拗ねてねぇよ」

別に拗ねてない。言わなきゃ良かったと思ってるだけだ。

「そ?…でもな、その桐原説が正しいとしたら、正に俺って月みたいやな」
「なんだよ、桐原説って。なんでお前が月なんだよ」
「えー、たつぼんが好きやから、いっつも後ろ追っ掛けてるやん」

な?桐原説の月と同じやん?と笑顔で言われて、心臓が跳ねる。

「…お前が言うとなんだかストーカーみたいで恐いんだけど」
「ひど!たつぼん」

俺の愛をストーカー呼ばわりするなんて、と大袈裟に嘆く振りをするシゲに、さっき笑われたお返しとばかりに笑ってやった。いつもより早く動く心臓のままで。
俺に対するちょっとしたご機嫌取り。いつものシゲのほんの軽口。そんな言葉にさえ嬉しがってしまう自分が癪なのだけれど。

月は夜空に輝く。静かに冷たく密やかに。その光のイメージは決してシゲではなく、どちらかと言えば自分だ。

そして俺もいつもシゲを追っている。その姿を、その存在を。この目で、この心で。親父説(?)で言えば、好きだから。だからずっと一緒に付いて行く。月のように。

「ほら、行くぞ」

嘆く振りをしている男を置いて、笑いながら一人で歩き出す。再び、待ってや、たつぼん、と後ろから声がした。

シゲも俺を追えばいい。俺がいつもシゲを追っているように、シゲも追って来ればいい。そんな思いで、早足で数歩歩みを進めた。

だけど。


追ってくる月との距離は離れはしないけど、近付きもしない。でも俺たちの距離は縮める事が出来る。今は本来の色を隠している輝く髪が、追い付いた俺の隣りでさらりと揺れた。


終(2008/05/03)
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