タイムリミット


来慣れたシゲの部屋に入るなり、胸がどきりと鳴った。
綺麗に片付けられた、殺風景なその空間。
脱ぎ散らかしたシャツやら、放り出された雑誌やら、
『だらしないな、ちゃんと片付けろよ』
いつもそんな風に小言を言っていた、散らかり方が今はない。シゲの部屋らしくない。

元々物がそんなに多い部屋ではなかったけど、このがらんとした場所がこんなによそよそしく感じられる事にショックを受けた。シゲの匂いはまだ、普通にあるのに。

何度となく訪れたこの部屋で、笑ったり喧嘩したり色んな話をしたり、普通の友達がする様な事をした。
そして、キスしたりセックスしたり、普通の友達では決してしない様な事も沢山した。

「片付いたな、ここ」

ここへ来る途中で買ってきた差し入れのコーラをシゲに渡す。自分用の午後の紅茶のキャップを開けながら、この小さな部屋をなんとなく見渡した。ここに来る事は、きっともうない。

「物とかはほとんどなかったしな。最後くらいは綺麗にせな、思って」

シゲの最後と言う言葉が心に苦く響く。あぁ、そうなんだ、本当にもう最後なんだ。

シゲは明日、京都に帰る。

「たつぼん、明日見送りに来んでもええからな」

コーラをぐびぐびと一気飲みした後で、やけに爽やかな顔でシゲが言った。その爽やかさに何となくむかついて、返した返事はそっけない。

「最初っから行く気ねぇし」
「うわっ、冷た。たつぼん、酷い」

あんまりやわー、と大袈裟に嘆く振りをする男に溜息を付く。

「なんだよ、だってお前が来なくていいって言ったんじゃないか」
「そやけど、ほら、俺ら、恋人同士なんやから。来んでええって言っても、嫌ー、絶対行くー、とか何とか言って欲しいもんやん」
「…言わねぇよ、そんな事」

あくまでも明るい声で話すシゲに、思いっ切り呆れた声で返した。

だってその恋人を置いて行くのはお前のくせに。俺を置いて行ってしまうのはお前のくせに。

「…行かねぇからな、俺は」

シゲから視線を外してぶっきらぼうに呟く。不機嫌なのが丸分かりな声。
だって行きたくない。お前を俺から何時間も離れた所へ連れて行く乗り物なんて見たくない。そしてそれを見送った後で、一人残された俺はどうすればいいんだよ。
一人きりで。お前が側に居ないのに。

「…絶対、行かねぇから」
「たつぼん…」

手の中のペットボトルをぎゅっと握った。

「…うん、来んでええから」

聞こえてきたのは、胸に染みる様な優しい声。ゆっくりとシゲの方へ顔を向けると視線が絡み合った。

「…なんだよ、お前は。来るなって言ったり、冷たいって言ったり、やっぱり来るなって言ったり」

だってな、と淋しそうにシゲが笑う。あんまり俺が見た事のない種類のシゲの笑い方だ。

「たつぼんに見送りに来られたら、俺、行きたくなくなってまうもん。それかたつぼん、京都まで連れて行きたくなってまうかも。…どっちにしても困るやろ、それ」

だから、来んでええよ。

ずるい、シゲ。この期におよんで、お前はそんな事を言うのか。そんな事を言われたら、ただ切ないだけじゃないか。俺だってお前を引き止めてしまいたくなるじゃないか。京都なんかに行くなって、叫んでしまいたくなるじゃないか。

でもそんな事は言えない。言ってもお前が困るだけだから。
言いたいけど。言えない。

「…安心しろ。俺は行かねぇ」

段々と頭が俯いていく。熱いものが込み上げて来るのを隠す様に、目をぎゅっと瞑った。

「たつぼん」

空気が動いてシゲが俺の側に来たのが分かる。髪をそっと撫でられた。

「ごめんな」

シゲが済まなそうな声で言った。
謝るな、シゲ。だってお前は悪い事は何もしていない。これがお前に取って一番いい事なんだ。きちんとした環境の元で、サッカーに打ち込めるんだから。
それは分かっている。ただ、俺が淋しいだけ。お前が近くに居なくなる事が、俺が淋しいだけだ。

「…謝ん、な」
「泣かんといて、たつぼん」
「泣いて…ねぇ」

子供をあやす様に言われて、髪を優しく撫でられて、我慢していたのに涙が一粒、目から零れ落ちた。最初の一粒が流れ出ると、後は堰を切ったかの様に続けてぽろぽろと頬を伝わって流れて行く。

「泣かんといて」

シゲの指が俺の頬の涙を拭う。

ふざけんな、泣かせろ。だって俺が泣いた時、こうやってお前が慰めてくれるのは今日が最後なんだから。明日にはもう、この暖かい手の平は近くにはないんだから。今、泣かないでいつ俺は泣けばいいんだよ。

シゲが俺の頬を挟んで、そっと上を向かせた。涙で滲んで、シゲの顔が見えない。でもきっと困った顔をしている。

それでも滲んだ視界の中で、シゲの顔が近づいて来たのが分かったから、ゆっくりと目を閉じた。
普通の友達では、決してしない事をする為に。

シゲの暖かい唇を自分のそれに受けながら、シゲが中学を卒業したら京都に帰ると聞かされた日から、何度心の中で繰り返したか分からない言葉を、今日も又、思う。

『このまま時間が止まってしまえばいいのに』

終(2005/06/08)
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