信じられない
「たつぼん、まだ終らんの?」
「まだだ。さっき書き始めたばかりだろ。そんなに直ぐに終るか」
「やって、シゲちゃん、お腹空いた…」
「もうちょっと待ってろ。って言うかお前がごちゃごちゃと邪魔しなかったら、その分早く終わ るんだよ」
部活が終った後の部室で。残っているのは部誌を書く俺と、その俺を待つシゲ。テーブルの 向こうで、金髪が腹の辺りを押さえて大袈裟に体を折り曲げた。腹減ったー、と情けない声を出しなが ら。
いつも通りのハードな練習、ハードなメニュー。部活の後はいつも多大な疲労感と空腹を抱 える事になる。俺を待つシゲがこんな風に急かすのもいつもの事。テーブルにへたりと突っ伏している 金髪を見て、小さな笑いが浮かんだ。
「急ぐから、シゲ。もうちょっと待ってろ」
ほんまに?とのろのろと体を起こしたシゲは、そのまま右手をズボンのポケットへと持って 行った。そこから出された手の中には幾つかのキャンディ。たつぼんに一個あげる、とこちらの方へと 腕を伸ばした。
自分で持って来るのか、クラスの女子に貰うのか知らないけど、こいつはよくこんな小さなお菓子を持っている。チョコやらクッキーやら飴やら。学校でこんな物食べるなよ、なんて今更シゲ相手に言っても無駄なのは分かってるので、差し出された手の平の中から桃味のキャンディを選び取った。
ありがと、と簡潔に礼を言うと、いいえー、と何が嬉しいのか子どもの様な笑顔で金髪が笑った。俺は何味にしよっかな、と機嫌良さげな声を聞きながらキャンディを口に入れる。甘い味が舌の上と心の中に広がった。
腹が空いた、と文句を言いながらも、シゲは律儀に俺を待つ。先に帰る事はない。何か用事がない限り、こんな風に部誌を書く俺と一緒に部室に残る。
そして、俺も先に帰れとは言わない。急かされながらも、何かと話し掛けられて邪魔をされながらも、いつものセリフは『もうちょっとだから、待ってろ』。先に帰れ、とは決して言わない。
だって、シゲと二人だけで居られる時間だから。好きな人、と居られる貴重な時間だから。
まともに女の子を好きになった事のない自分が、生まれて初めて好きになった相手。それが同性のチームメートだなんて、自分の人生一体どうなってるんだ、と思う。
しかもそれがシゲ、だ。いや、勘違いだ、気のせいだ、気の迷いだ、と何度思った事だろう。俺がシゲを好き?いや、有り得ない。
だって、見掛けなんかまんま不良で、柄が悪いし、だけど自分で言うだけあって確かに顔はいいし。
いい加減で、凄くだらしないし、だけど、案外面倒見はいいし、こうと決めたら一途だし。
いつもへらへらして、調子いい事ばかり言うし、だけど、裏表はない奴だし、人の事は良く見てて洞察力はあるし。
とにかく、何と言っても一緒に居ると楽しいし。
結局そんな筈はないと何度自分の気持ちを打ち消そうと、気が付けばシゲの事を考えているのは事実で。シゲの表情。シゲの声。シゲの言葉。いつでも心の中に自然に湧き上がって来るそれら。
あぁ、俺はシゲを好きなんだ、と諦めの溜め息を洩らしつつその気持ちを認めたのはいつだったか。
認めてしまえば、否定していて悩んでいた感情は却って楽になる物だ。シゲと一緒に居る時間は楽しいと素直に思える。何気ない会話をしている時も、シゲが俺をからかう時も、俺がシゲに小言を言う時も。どんな時間も楽しくて、心が弾んでしまう。
シゲも多分、俺の事を嫌ってはいないと思う。なんだかんだと俺のクラスによく来るし、こんな風に部活の後は俺を待って一緒に帰る事が多い。明るくて社交的なシゲは友達も多いけど、自分と一緒に居る時間が一番長いような気がする。多分、好かれていると思う。勿論、俺とは違った意味で。
好きになった相手が同性だった。気持ちが伝わればいいとか、想いが届けばいいとかは決して思わない。自分と同じ感情を持って欲しいとも思わない。だってそんな事は無理だから。俺たちは男同士だから。
だからこんな風にシゲの近くに居るだけでいい。一番近くに居られるのが、少しでも長ければいい、と思う。
中2ともなれば、誰に彼女が出来たとか、誰と誰が付き合ってるとか言う話を結構聞く。シゲはその目立つ容姿と話し易い性格から女子からモテてるようで、告白なんかもよくされてるみたいだ。きっとそのうちにシゲにも彼女という存在が現れるだろう。
誰よりもシゲの近くに居て、誰よりもシゲから笑顔を向けられて、誰よりもシゲを独占出来て。そんな誰かがきっとそのうちに現れる。自分ではない誰かが。
そんな事を思うと胸が押し潰されそうになる。だからそんな日は一日でも来るのが遅ければいい。本当はいつまでも来なければいい、と思う。シゲの一番近くに居られるのがいつまでも俺だったらいい、と思う。
それが例え、無理な事だと分かっていても。
だからその言葉を聞いた時、直ぐには意味が理解出来なかった。
「俺、たつぼんが好きやねん」
学校を出ていつもの帰り道。いつものようにのんびりとした歩調で帰った。二人が別れる十字路のしばらく前から、珍しくシゲが無口になって何も話さなくなった。不機嫌なようではないし、そんなに腹が減ったのかな、なんて呑気な事を考えてたら、いきなり足を止めて俺の方へと向き直り、そして言った。
『俺、たつぼんが好きやねん』
真っ直ぐ投げられた視線をまともに受けた。切れ長な瞳に真剣な光。いつもの人をくった様な眼差しはどこにもなくて。
シゲが放った言葉を耳で聞き入れて脳に伝達する。ところが、その脳は受け取った言葉の意味を中々解読してくれなかった。道の真ん中で見詰め合うシゲと俺。
「…お前、いきなり何言って…」
「何って告白」
「…告白って、何?」
「告白って、告げとんの。俺はたつぼんが好きやって」
「……え」
待って、ちょっと待ってくれ。シゲが俺を好き?シゲが俺に告白?シゲが、俺を、好き?
ちっとも意味を成さない単語の断片だけが、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。何?好き?告げる?告白?好き?何?
あぁ、さっぱり意味が分からない。
目の前に居るのは自分の好きな相手。いつもいつも心に想っている、恋焦がれてる相手。だけど、そいつは同性でこの想いが決して届く事のない相手。この想いが叶う事のない相手。
そんなヤツから、好きだと言われている。友だちとしてでなくて、なんて言われている。特別な相手として、とも。
これは夢なんだろうか。言って欲しくて堪らない言葉を聞きたくて、自分が見ている都合のいい夢なんだろうか。いや、口の中にはさっきシゲから貰った二つ目のキャンディのリンゴの味がリアルに広がってるし、頬に当る冷たい風もちゃんと感じられる。
ひょっとしてからかわれてる?そんな風にも思ったけど、シゲは冗談はよく言うが、こんなタチの悪い冗談は言わない。第一瞳が真剣だ。シゲがふざけているか、そうじゃないかの区別くらいは付く。伊達にこいつに惚れているわけじゃない。
本当に?シゲに好きだと言われている?シゲが好きなのは俺?本当に? え、と絶句した後、何も言葉が出なかった。出せなかった。多分今の俺の顔は思い切りほうけているだろう。真剣な表情のシゲと、見詰め合っていたのはきっとほんの短い時間だったと思う。でも自分にはとても長く感じた。何か言わなきゃ、と口を開き掛けた時、目の前の金髪が視線を外しながら小さく笑った。
「…堪忍な、たつぼん」
絞り出された声はとても小さな物で。
「え?」
「いきなりそんな事を言われても困るだけやのにな」
「シゲ…」
「ほんまにゴメン。…今の忘れて」
今のなし、と手を合わせて頭を小さく下げた。シゲが謝る時よくする仕草だ。
「男に告白されても引くわな」
明るい口調で言おうとしてるけど、それには失敗していて。
「たつぼんが困るの、分かってたのにな」
笑顔を作ろうとしているけど、あるのは切なそうな表情で。
「あー、考えなしに言ってもうた」
もう一度堪忍、と言った後、くるりと向きを変えた。また明日な、と後ろ手を振られ、そのまま走り出そうとする背中に懸命に呼び掛けた。待って、シゲ。
「…シゲ!」
待って、シゲ。違う。困ってなんかいない。引いてなんかいない。違う、違う。
だって、ずっと欲しかった言葉。欲しくて堪らなかった言葉。でも無理だと諦めていた。絶対に貰えないと思っていた。それでも欲しくて欲しくて堪らなかった。
届かない筈の想いが届いた。叶う筈のない想いが叶った。そう思ったら嬉しくて、でも信じられなくて言葉が出なかったんだ。
シゲがゆっくりとこちらを振り向く。何を言ったらいいだろう。最初に何を言おう。
困ってなんかいない。引いてなんかいない。その逆だ。
何を言おう。何て言おう。
でもちょっと待って、シゲ。嬉しくて信じられなくて、涙が出そうなんだ。
お前の前で泣くなんて、かっこ悪い事したくない。だから、もうちょっと待っててくれ、シゲ。
終(2008/03/24)