お薬
草晴寺の一角にある時代物の下宿所の一室で、巨大な駄々っ子が出現していた。
「シゲ、いい加減に…」
「いやや。病院も薬も要らん。こうやって大人しく寝てれば治る」
この部屋の住人は、掛け布団をすっぽりと頭まで被って体を丸めさせている。布団の端から乱れた金髪を少しだけはみ出させて。いつもとは違う鼻声相手との押し問答。溜息が出た。
今日の朝練にシゲは姿を見せなかった。サボる事もなくずっと練習に参加していた矢先の事。どうしたんだろうと思っていると、香取先生には風邪で休むとの寺からの連絡が入っていたらしい。珍しい事もあるもんだ、と放課後の部活帰りにシゲの部屋へと足を運んだ。そこに行く前に立ち寄ったのは、コンビニともう一軒。
「シゲ、風邪だって。大丈夫か、…って大丈夫じゃなさそうだな」
部屋に入るとそこにあったのは、蒲団に横になっているシゲの赤い顔だった。熱で潤んでいる目。重そうな呼吸。たつぼん、来てくれたん、と億劫そうに出した声は掠れていた。
「あー、しんどいねん。熱、高くて」
だるそうに仰向けに寝返りを打つ。シゲが告げた数字は、平熱よりも軽く2度は高かった。汗で貼り付いた金髪を除けて熱い額に触れると、シゲが気持ち良さそうに目を閉じた。
「お前、なんか食った?」
「あぁ、久し振りに粥食ったわ」
朝のお勤めに出て来ないシゲを呼びに来た下宿仲間が、布団の中で丸まっているシゲを見つけた。流石にこれは仮病ではなさそうだと、見兼ねた和尚がお粥を作って食べさせてくれたらしい。そして頭の下には、昔懐かしいゴム製の水枕。ちゃんと面倒みて貰ってたんだ、とほっと胸を撫で下ろす。
ここに来る前にコンビニで買って来たポカリを出す。飲む?とキャップを開けてやると、体を少しだけ置き上がらせて、美味しそうにこくこくとそれを喉に流し込んだ。美味いー、とポカリを枕元に置いて、水枕に再び頭を乗せる。
「アイスも買ってきたけど、食う?」
「あー、今はいいわ。後でよばれる」
でもおおきにな、とシゲが小さく笑う。このアイス、こいつが好きなやつなのに。それなのに食いたくないなんて。そんなに具合が悪いのかと思うと胸がちょっと痛んだ。
自分もそうだけど、シゲも滅多に風邪なんか引かない。普段、元気な姿ばかり見慣れているので、こんな風に弱っているのを見るのは少々辛い。
「それでお前、薬とか呑んだのか?」
「呑んでへんよ。薬、嫌いやもん」
やっぱりな、と予想通りの答えに心の中で溜息を吐いた。
一年生の時だったか、こいつがやっぱり風邪を引いた時、薬は嫌いで全く呑まない、と言い張っていた事があったのだ。曰く、苦いし、不味いし、呑み辛い。絶対いや、と盛大に咳き込みながら主張していた。
そんなもの苦いのも不味いのもほんの一瞬だろうに、なんでそんなに嫌がるのか分からない。でもこいつはとにかく薬も注射も駄目で、風邪を引いた時にはだまって大人しく寝ているのが唯一にして最良の治療法だそうだ。
でも今回の風邪は熱もかなり高そうだし、声も酷い。薬を呑んだ方が治りが早いだろう。ここへ来る前にコンビニともう一軒寄って来たのはドラッグストア。薬嫌いのこいつが、風邪で学校を休もうと素直に薬を呑んでいる筈がない。そう思って風邪薬を買って来たのだ。
その旨を告げてそれを取り出そうと持って来たビニール袋に手を入れると、途端に金髪は蓑虫よろしく、布団の中へと包まりこんでしまった。
「シゲ、薬呑んだ方が早く治るから」
「いやや、薬嫌いやし」
「そんなの呑むのなんて、ほんの一瞬だろ。ちょっとくらい我慢しろよ」
「いーやーやー。そんなん我慢するくらいなら、黙って寝てた方がマシや」
まるで駄々っ子。わざとらしく大きく溜息を吐く。たかが風邪薬一つでなんでこんなに嫌がるんだ。
布団に包まってる塊を呆れた思いで見ていたら、そいつがもぞもぞと動いて顔だけを出した。口の端に小さく笑いを浮かべて。
「やけどな、たつぼん」
「…なんだよ」
「たつぼんがナースプレーでもしてくれたら呑んだってもええけど。ナースのコスしてな、シゲちゃん、苦しいの?可哀想に。お薬呑みましょうね、ってこう口移しで…、って、痛い、たつぼん、叩く事ないやん」
熱で苦しい筈なのに、それにも関わらずふざけた事を抜かす金髪を平手で軽く打った。ひどい、たつぼん、と抗議の声が上がる。
「馬鹿な事をお前が言うからだ」
「やって、シゲちゃん、熱あって、頭痛いのに」
病人なのに、と頭を抱えてシゲが泣き真似をする。
知ってるよ、それくらい。馬鹿な事を言ってても、お前が辛いのは。その赤い顔を見れば。その掠れた声を聞けば。
だから、早く治って欲しいと思うんじゃないか。薬を呑む事で、お前がその辛さから少しでも早く逃れられるんなら、そうして欲しいと思うんじゃないか。
頭を抱えるシゲを見て、さっき出しそびれた物をビニール袋から出した。
「ほら、シゲ、これ」
うん?とこちらを見たシゲの目の前にその物を押し付ける。
「…たつぼん、これって」
それを認めたシゲの瞳が見開かれる。
「これなら苦くもないし、多分不味くもないし。顆粒やカプセルと違って呑み易いだろ」
「や、それはそうかもしれへんけど…」
俺がさっきドラッグストアで買って来たのは、風邪薬用のシロップ。液体状の流し込めばいいだけの物だ。固まるシゲをよそに、箱を開けて中からビンとキャップを取り出した。シロップを注ぎ込んで、ほら、とシゲの前に差し出す。
「これなら呑めるだろ」
苦くない。多分不味くない。呑み難くない。
「や、それはいいんやけど…」
「ほら、呑め」
「やけど、たつぼん。これって…」
そのビンが入っていた箱に印刷されているのは、カラフルな可愛い子供と動物の絵。
そして『呑む風邪薬シロップ。子供用。イチゴ味』の文字。
「何?これだって立派な風邪薬だろ」
「…やけど、たつぼん、これ7歳までって書いてはるけど」
箱の横に書かれている用法をシゲが指差した。5歳から7歳。キャップに一杯。
「俺、既にその2倍も年食ってるけど」
「じゃあ、その2倍の分量呑めばいいだけの話だろ」
そんなアホな、と突っ込むシゲの目の前に、さぁ、呑め、と更にキャップを差し出した。それを見て、俺の顔を見て、もう一度キャップに視線を戻した所でシゲが盛大に吹き出した。
「かなわんなー、たつぼんには」
可笑しそうにシゲが背中を丸めて笑う。ひとしきり笑った後で渋々といった風にキャップを受け取ると、それを一気に呑み干した。あまーい、と盛大に顔を顰めて。苦いとか甘いとか全くうるさいやつだ。
ほら、もう一杯、と二杯目を注ぎ足す。
「…ほんとに呑むんすか?」
「お前、倍年食ってんだから、分量の2倍呑めば丁度いいだろ」
ほんまかいな、と言いながらシゲが二杯目を呑み干した。やっぱり、あまーい、との顰めっ面付きで。布団に横になりながら、シゲが尚も可笑しそうに笑っている。
「風邪薬なんて呑んだの、えらい久し振りやわ」
「そりゃ、良かったな。これを機会に薬くらいあっさり呑めるようにしろよ」
「あ、それは無理。苦手な物は苦手やさかい。難しい事、言わんといて」
「…誰が難しい事言ってんだよ」
飽くまでも薬嫌いを主張するシゲ。呆れながらもつい頬が緩んでしまった。なんでも器用にこなせるこいつの、唯一と言っても良さそうな弱点。小さな子供みたいで可笑しい。
「やけど、たつぼん。なんでわざわざ子供用シロップなん?あんなん、普通の大人用のもちゃんとあるやん」
上目遣いでシゲが問う。真っ当な質問を。
そんなの嫌がらせに決まってるじゃないか。人の事をなにかと子供扱いするお前。
そんなお前が、薬は嫌い、注射は怖いなんて。そんな事言うの、子供そのものじゃないか。子供には子供用の薬でぴったりだろ。俺は薬だって注射だって全然平気だ。参ったか。
そんな事を言ってやると、参りました、とシゲがくすくすと笑った。
「まぁ、確かにな。この件に関しては申し開き出来ません」
でも苦手なもんはやっぱり苦手やねん、と唇を尖らせると、子供が拗ねた様な顔になった。その顔を見て、可愛い、なんて珍しい事を思ってしまった。その途端に身を屈めて、シゲの汗ばんだ額に口付けていた。
再びシゲの目が見開かれる。自分の取った行動に自分も固まった。俺の方からキスするなんて滅多にない事なので。
「いや、その、お前が苦手な薬呑んだから、ご褒美って言うか、何て言うか」
口から出たのはしどろもどろの言い訳。たかが子供用の薬を呑んだくらいで、何がご褒美だ。それほどの事か。
見開いていたシゲの目が、嬉しそうに細められて行く。
「…めっちゃ嬉しいご褒美やな」
自分のした行為と、向けられるシゲの笑顔に大いに照れる。そう言えばアイスがそのままだったから冷蔵庫に入れて来なくちゃ、と言いながら立ち上がった。ビニール袋を掴んでそそくさと部屋を出て行こうとすると、たつぼん、と後ろから呼び止められた。
「…何?」
顔だけ向けて返事をする。
「おおきにな」
「何がだよ」
「うーん、色々心配してくれて」
「…ばーか。病人が変な気使うんじゃねぇ」
お前が辛そうなのを見るのは嫌だ。お前が学校に来ないのは淋しい。お前とボールを蹴られないのはつまらない。
だから、変な気を使ってないで、早く良くなれ。
関西人に馬鹿はなし、とそれでもシゲは微笑みながら言った。
「後な、たつぼん」
「まだなんかあるのかよ」
「俺が治ったら、もっとちゃんとしたご褒美、頂戴」
にっこりと笑う顔。ちゃんとしたご褒美って、それってちゃんとしたキスって事か。だから子供用の薬を呑んだくらいで、ご褒美って何。それほどの事なんか、全然してないじゃないか。
でもそんな事を言い出したのは、確かに俺だし。何よりもお前には早く治って欲しいから。
「…早く治せ。そしたらちゃんとしたのしてやるから」
そう言った俺の顔は、熱のせいで赤くなってるシゲのそれよりも、もっと赤かったに違いない。
終(2006/06/05)
子供用のって果たして薬になるんでしょうか…。毒にはならないと思いますが。適当ですみません…。