夏の終りに
中学最後の夏休みが終わった九月。夏の名残をふんだんに残しながらも、ふとした瞬間に秋の気配が感じられる、そんな日々。ゆっくりと夏が過ぎようとしている。
お互いの選抜の練習がない休日、いつもの河川敷にシゲと足を運んだ。二人でボールを追って走る。『軽く汗流さへん?』なんて言ってうちに来たのに、相手からボールを奪おうとする姿勢は二人とも真剣そのもので。気が付けばお互いに本気になってボールを追っていた。残暑の眩しい太陽の下、思い切り息が上がって散々汗をかいた所で、草の上の斜面に勢い良く座り込む。持参のポカリを一気に喉に流し込んで、ふーと息を大きく吐きながら見上げた空は綺麗な青色。
「あー、しんど」
同じ物を隣で飲んでいたシゲがやはり同じ様に大きく息を吐いた。そのままごろり、と草の上に寝転がる。
「軽ーくって言ったやないか。なんでこないに一生懸命走らなあかんねん」
練習でもないのに、と不平を滲ませた口調で金髪男がぼやく。
「お前がムキになってたからだろ。なにが軽ーくだよ。俺からボール取ろうと必死だったくせに」
「あー、よー言うわ。必死やったのはたつぼんの方やろ。ほんまに自分、負けず嫌いなんやから」
「その言葉、そっくりそのままお前に返す」
自分やろ、お前だ、と応酬しているうちに二人で笑い合った。二人とも負けず嫌いなのはお互いが一番よく知っている。サッカー部で一番最初に勝負をした、一年生のあの時から。
ポカリを飲みながら見上げる空は綺麗な青。でも少し前までの、目も眩む様な眩しさはそこにはない。絵の具を水に溶いた様な薄い青色。
「なんや空、少し高うなってない?」
二人で空を見上げた短い沈黙の後でシゲが呟く様に言った。
「そう、かな。…どうだろう」
薄い空。高い空。シゲの言葉に返事をしながら、眩しくもない空を見上げて目を細めた。
夏の終りと言うのはなんとなく物淋しい気持ちになってしまうのは何故だろう。子供の頃からずっと感じていた、夏の終りの微かな切なさ。それが今年は殊更強く感じてしまうのは、数日前にシゲから聞かされた言葉のせいだ。
草の上、俺の手の辺りまで広がっている金色の髪を一房指で摘んだ。脱色し過ぎて傷んでしまった堅めの長い髪。
「…パサパサ」
そのままその髪をなんとなく弄っていると、ん?とシゲが目だけをこちらに向けた。
「お前、これどうすんの?」
「これって?」
「髪の毛。だってほら、面接とかあるんじゃねーの、入試ん時。これじゃやばいだろ」
あー、そっか、と自分の髪を一掴みして毛先を見る。シゲの指先で金色の髪が小さく踊っている。
「…拙いやろか?」
「いや、思いっ切り拙いだろ、聞くまでもなく」
「そやなー。拙いかもなー。でもこれシゲちゃんの地毛なのに」
「言ってろよ」
自分と、そして桜上水の教師たちと何度となく繰り返された会話。
「しゃーないから試験の時だけ黒く染めよか。してそれが終わったら即行で元に戻す」
「お前、3年間それで通したな、って言うか通すんだな」
3年間、と言うにはまだ時間がある。後、半年。
まだ半年。---たった半年。
「やってシゲちゃんのトレードマークやもん、この髪。あー、それにな、この髪の色やったら俺がどこに居ってもたつぼん直ぐに分かるやろ」
「…は?」
「俺がどこに居ってもたつぼんが真っ先に見つけられる様にする為の色なんや、これ。言わば愛の目印やな」
言いながらシゲがにかっと音が付いていそうな笑顔を見せる。
「…適当な事、言ってんじゃねーよ」
そんな事、ある訳ない。シゲが髪をこの色にしているのは自分がそうしたいからだ。自分がこの明るい髪の色が好きだからだ。
そんな事は分かっているのに、いつものシゲの軽口なのに。そんなシゲの言葉にドキドキしてどうする、俺。嬉しがってどうする、俺。
ほんとの事なのに、たつぼんつれないー、なんて嘆いた振りをしているシゲの言葉は軽く流して、ちょっと火照った頬のまま、また一口ポカリを煽った。そして、そう言えば黒い髪のシゲは一度も見た事がないんだな、と今更ながら思った。
確かにどこに居てもシゲは直ぐ分かる。この明るい日の光の様な髪。どんなに人が居ようとも、真っ直ぐに目に飛び込んでくる金色。
だけどシゲの髪が黒くなっても、きっと分かる。回りの皆と同じ色になったとしても、俺はきっと直ぐにシゲを見つけられる。
例えどんなに大勢の中に紛れていても。
『高校は京都の学校に行く』
数日前にシゲから聞かされた言葉。シゲが関西選抜に居ると分かった時から、そしてそこを基盤に今も練習を続けている事実から。聞く前からなんとなく分かっていた様な気がする。多分シゲは自分の故郷に帰ってしまうんじゃないかと。
でも予想をしていたと言うのと、だから平気と言うのは全然別問題で。その言葉を実際に聞いてやっぱり凄くショックだった。ショックだったけど、そっか、となんとか無理矢理笑顔を作る事には成功した。だってシゲに取ってはそれが一番いいと思うから。シゲがきちんとした環境でサッカーに打ち込めるのは俺も嬉しい。
そうは思いながらも、近い将来に離れなければならない現実の前に、浮かべた笑顔はきっと引き攣っていた。ごめんな、と言った時のシゲの表情は、俯いてしまって見えなかった。
来年の夏にはシゲと多くの時間はきっと共有出来ない。その頃、俺はどうしているんだろう。遠くに居て夏が良く似合う明るい髪をした男の事を、一人思っている自分が居るんだろうか。
シゲとこんな風に一緒に過ごせるのは後、半年。
まだ半年。---そしてたった半年。
「そう言えば、学校祭。たつぼんのクラスなにやるン?」
大人しく空を見ていたシゲが、顔だけをこちらに向けて尋ねてきた。それは、この前HRで話し合ったばかりの話題だ。
「え、ああ。甘味処やるって話だけど。おしることか、あんみつとか。まぁ、定番だけどな」
「へー、良かったやん。自分甘いもん好っきやろ」
「や、確かに好きだけど。でも自分のクラスの出しもん、ばくばく食うわけにはいかねぇだろ」
そらそうやなー、とシゲがカラカラと可笑しそうに笑う。
「お前のクラスは?何をやるんだよ」
「俺らも定番。お化け屋敷するって言ってた」
「へー、お前こそ良かったんじゃねーの?そういうのお前好きそうじゃん」
「結構好き。脅かす役に力入れるでー。女の子にきゃーきゃー言わせたる」
「悪趣味…」
嬉々としてそんな事を言うシゲに呆れた声で返しながらも、楽しそうに脅かすシゲが想像出来てちょっとだけ笑った。いつでもどこでも楽しむ事は得意なやつだ。
「なーなーたつぼん」
気が付けばシゲが俺の直ぐ足元まで近付いてきて、上目遣いで見上げる形で俺を見ている。
「何?」
「学校祭の時、時間合わせて一緒に回ろうな」
な、と目を合わせて笑ってくる。
シゲとは部活でも学校外でも一緒に過ごす事は多かったけど、クラスが違う事もあって学校行事で行動を共にする事はほとんどなかった。残された時間の中で、俺が出来るだけシゲと一緒に居たいと思っている様に、シゲも同じ様に思っていてくれてるんだろうか。
「…時間が合ったらな」
「大丈夫。シゲちゃんが合わせたるから」
シゲの嬉しい提案に即行でOKしたい自分が居るのに、口から出て来たのはやっぱりいつもの様に素直じゃない言葉で。でも俺の心の中なんて、多分お見通しのシゲが嬉しそうに表情を綻ばせた。
「あー、学校祭、楽しみやな。たつぼん、色々回ろうな」
公立中学校のそれほど大掛かりではない学校行事。今までもそんなに楽しみにしていた事などないけれど、シゲがあんまり楽しそうに言うから。シゲと一緒に行動出来るから。その行事がたちまち楽しみな待ち遠しい物になってくるから、俺も大概現金だな、と思う。
はしゃぐシゲが可笑しくって、自分も笑いながらお前、子供みたいだぞ、と答えた。
シゲとこんな風に時間を共有出来るのは中学卒業まで。
たった半年しかない。でもまだ半年ある。
その間に少しでも、残り少ない時間の中で少しでもシゲと一緒に過ごせたらいい。
「…なぁ、シゲ」
「ん?」
「やっぱり、ちょっと、空が高いな」
「あ?そやろ?」
シゲと俺の頭上に、薄くて高い空が広がってる。
微かな切なさを抱えながら、シゲの隣で14回目の夏がゆっくりと過ぎて行く。
終(2005/08/29)