メッセージ
4時間目の国語の授業。開こうとしたページじゃないのに自然に教科書が開いたのは、 挿まれていた1枚の紙のせい。何だろう、と目をやるとやけに可愛いネコのイラスト付きの小さな便箋。思わず声が出そうになった。
朝、いつも通りに起床して居間に行くと、いつも通りの母さんの笑顔に会った。そしていつも通りではないセリフ、『たっちゃん、誕生日おめでとう』と、言われた。一瞬その言葉の意味を考えて、ああ、そう言えば今日は自分の誕生日だったと思い出す。祖母ちゃんや孝子や百合子からもお祝いの言葉を言われたけど、起き抜けだし言われて自分の誕生日を思い出したのだし、反応がイマイチだったらしい。
『なーに、反応うすーい』
『ほんとほんと。せっかく人がお祝い言ってあげてるのに』
なんて、たちまち孝子たちから突っ込みが入った。
カレンダーは、毎日見ている。今日が何日かというのも当然把握している。でも部活やらサッカーやら勉強やら。そして付き合ってるヤツの事やら。毎日忙しくて目まぐるしくて自分の誕生日の事など忘れていた。それでも家族からのお祝いの言葉はやっぱり嬉しい。祝い甲斐が無い子ね、なんて憎まれ口をきく伯母たちも毎年忘れずに祝ってくれてプレゼントをくれるのだ。
『今日はたっちゃんの好きな物、沢山作ってあげるからね』と、柔らかい笑顔付きで母さんが言う。こんな年になって誕生日に好物のご馳走なんて割りと恥ずかしい。でも料理好きの母さんと祖母ちゃんはきっと色々とプランを立てているに違いない。そんなのいいよとも言い辛いし、ここは素直に楽しみにしてる、とだけ返した。実際二人の料理は美味しいし。
そう、確かに美味しいのだけど、いいのは質だけではなく量もだ。女性陣はそんなに量は食べないし、俺メインのご馳走だから俺が頑張って食べるのはいいとして、育ち盛りの自分でも食べ切れないだけ二人が作るのは簡単に予想出来る。そこで頭に浮かんだ派手な金髪。
『えーと、母さん…』
『なぁに?何かリクエスト?』
『じゃなくって、もし良かったら今日、シゲも呼んでもいい?』
勿論いいわよ、の母さんの笑顔に少しだけ罪悪感が湧いた。息子が誕生日に仲のいい友だちを呼ぶ。母さんからしたら普通に微笑ましい事なんだろう。でも実は、そいつは友だちではなく恋人。付き合っているヤツなのだ。母さんにも誰にも言えない相手だけれど、自分の誕生日に好きなヤツと一緒に過ごせると思うと、湧き出た小さな罪悪感も嬉しさにあっさりとかき消されてしまった。ごめんなさい、母さん。
その日になって突然、今日うちでメシ食う?となるのはよくある事。今日も当日だけど、多分大丈夫だろう。メシに誘うなんていつもやってるのに、何となく緊張するのは今日がいつもとは違う日だからだろう。今日は自分が生まれた日なのだ。
いつ、どんなタイミングで誘おうと考えていた相手と顔を会わせたのは朝練の時。いつもと同じように眠そうな顔で適当に結んだ長めの金髪で。
『おはよーさん、たつぼん。ねむー、さむー』
『朝一番にそれかよ。もっとしゃきっとしろよ。1年生に示しがつかないだろう』
そんないつもと同じような会話。その時は回りに部員が沢山居たし、朝っぱらから夕飯の誘いなんて変だろうと思い言えなかった。いつ言おうか、部活が終わった後でもいいか、と考えながら、ふと思った。シゲは今日が自分の誕生日という事を知っているんだろうか。だって、あいつの口からその事について何も言われなかった。
着替えの時は、シゲのダルそうな口調と自分の小言の応酬。練習の時は勿論、私的な会話をする暇もない。他に人が居たから言えなかったかというと、そういう風でもない。だってさっきシゲが、国語の教科書を借りに来た時も返しに来た時も、そんな話題は一切出なかった。
そう言えば、シゲはいつが俺の誕生日かなんて知っているんだろうか。俺はシゲの誕生日を覚えていた。数ヶ月前の7月8日。まだ付き合ってはいなかったけど、その時も、もうずっと前から俺はシゲが好きだった。別に友だちだって誕生日くらい祝うだろうと、あいつの好きなコーラを奢ってあげた。おおきに、と笑うシゲの笑顔がとてもまぶしかった。こんなに安上がりの物でもこんなに喜んでくれたあいつに俺も嬉しくなった。心臓の鼓動がいつもよりも速かった。なんだか切なくなる程に。
俺はシゲの誕生日をどうして知っていたんだっけ。誰かから聞いたんだっけ。いや、違う。シゲ本人から聞いたんだ。思い出した。1年生の時、何かの会話の流れから誕生日の話になった。お前の誕生日って、七夕の次の日なんだな、と言った記憶がある。だから覚えていたのだ。そうだ、シゲから、たつぼんは晩秋の生まれなんや。なんか、それっぽいな、と言われたんだ。俺が晩秋の生まれっぽいかどうかは分からないけど、シゲの口から晩秋なんて言葉が出た事に吹いて笑った。
『何、笑ってんねん』
『だって、お前が晩秋なんて似合わない渋い事言うから』
『何で似合わないねん。こんなの、シゲちゃんに取っては日常的に使う言葉や』
『嘘吐くな』
そうだ、そんな会話をした。
だから少なくとも、シゲは俺の誕生日を一度は聞いたはずだ。忘れられたのは残念な気もするけど、そんな事を話したのはずっと前の事だし、自分でも自分の誕生日を忘れていたし。あいつがうちに来てくれるのは単純に嬉しいから、その時に祝って貰おう。それで十分だ。
そう思いながらもさっきから感じている一抹の淋しさ。微かに沸いている失望感。心の奥底で、シゲはきっと自分の誕生日を覚えててくれてるだろうなんて勝手に思い込んでいたみたいだ。自分だって家族から言われて、初めて思い出したのに。シゲからの言葉を勝手に期待していたみたいだ。なんて自分に都合のいい事を、と心の中で苦笑する。
今日で一つ大人になったというのに、こんな事で落ち込んでいてもしょうがない。帰る時に言おう、今日は俺の誕生日なんだと。だから、うちにメシ食いに来ないかと。そう言ったらシゲは焦るだろうか。俺の誕生日を忘れた事に対して。それとも、調子良くいつものように言い訳を並べるだろうか。どちらにしても、お前、付き合ってるやつの誕生日くらい知っとけよ、それくらいの嫌味は言ってやってもいいよな。そんな事を思っていると、4時間目の始業のベルが鳴った。4時間目は国語の授業。さっきシゲが返しに来た教科書が机の右上に置いてある。
シゲは忘れ物が多い。教科書やら歴史の年表やら英語の副教材やら、しょっちゅう俺に借りに来る。前の日に、次の日の時間割を見てカバンに入れるという習慣があいつにはないのだろう。既に無くしていて手元にない教科書もあるだろうと俺は睨んでいる。
シゲが借りに来る物は、必ず俺が持って来ている物ばかりだ。一度、もし俺のクラスでその授業がなかったらどうするんだよ、と聞いた事がある。そうしたら、
『あ、大丈夫。B組の1週間の時間割、全部頭に入ってるねん。やから、たつぼんが持って来てるかどうかなんて、一発で分かるで』と、やけに自信たっぷりに言われた。 『たつぼんが忘れ物するはずないし。頼りにしてまっせー』とも。シゲから頼りにされるのは正直嬉しいけど、こんな頼られ方は微妙だ。俺はシゲの忘れ物補充係かよ。それに人のクラスの時間割なんて、普通覚えないだろう。変な所で記憶力のいいやつだ。
そう、シゲは記憶力が案外いいのだ。分析力も洞察力もある。勉強の方には興味が向いていないようで、それらの能力はさほど活かされてはいないようだけど、実際話していて、こいつ頭の回転が速い、と感じる事が多い。その記憶力を以って恋人の誕生日くらい覚えていればいいのに。人のクラスの時間割なんて、変な物を覚えるくらいなら。
と、また思考が空転してしまった。先生も教室に入ってきたし、今は授業に集中しよう。教科書を開こうと手に取ると自然にページが開いた。それは、 挿まれていた1枚の紙のせい。何だろう、と目をやるとやけに可愛いネコのイラスト付きの小さな便箋。
『ハッピーバースデー、たつぼん』
思わず声が出そうになった。
『たつぼん』なんて、俺をふざけた呼び方をする唯一の人物。でもそんなふざけた事を書かなくたって、自分の名前を書かなくたって、誰が書いたか一目で分かる。意外と大人っぽい、しっかりとした筆跡の持ち主。その相手からの短いメッセージがそこにあった。
『ハッピーバースデー、たつぼん。14歳おめでとさん。シゲちゃんも嬉しいわぁ。お祝いに今日部活の後、豪華!コンビニデザートをご馳走させて下さいな。あなたのシゲちゃんより』
やけに可愛い便箋に、カラフルなマーカーで書かれた文章。思わず笑みが込み上げてくる。
『なーにが、あなたのシゲちゃん、だよ。豪華!の所をやたらと強調してるけど、でもコンビニデザートなんだよな』
笑いをこらえて下を向いたら、隣の小島に、どうしたの?と声を掛けられた。なんでもない、と笑顔で返すと、変なヤツ、と訝しがられた。
この短い文章を何度も何度も読んでしまった。笑顔が引っ込まなくって困る。嬉しい。凄く嬉しい。ついさっきまで、シゲが自分の誕生日を忘れてしまったと落ち込んでいたのに、そうじゃなかったと分かっただけで、気分がいきなり急上昇してしまった。シゲからのハッピーバースデーがこんなに俺を嬉しくさせるなんて。俺って、実は単純な人間だったんだな。でもそれは多分、シゲ限定。他の人相手じゃ、こんなに感情が上がったり下がったりしない。シゲ相手には、本当に単純で分かりやすい人間になってしまうんだ、俺って。あいつに振り回されてるみたいで悔しいけど、これが惚れた弱みというやつなんだろう。
シゲも流石に、面と向かってお祝いの言葉を言うのは照れ臭かったんだろうか。いや、あいつはそんな可愛い性格はしていない。単にサプライズ的に俺を驚かせたかったんだろう。でもさっき、この教科書を返しに来た時、やけにあっさりと帰って行った。いつもなら、無駄話の一つや二つしていくのに。案外、照れ臭いのとサプライズが2:8くらいの割り合いとか。意外と、4:6くらいかもしれない。
こんなのいつ書いたんだろう。このやたらと可愛い便箋はどうしたんだろう。手書きでメッセージなんて本当にシゲの柄じゃないのに。色々聞きたい。話したい。この授業が終わったら昼休みだ。いつもはシゲがうちのクラスに昼食の誘いに来るけど、今日はその前に、俺の方からシゲのクラスに行こうか。そして誘ってみようか。今日うちにメシ食いに来ないか、と。今日は俺の誕生日だから、母さんたちが料理を沢山用意してくれてるから、と。
ケーキはきっと母さんが用意してくれてるはずだ。でも、シゲが奢ってくれるという豪華なコンビニデザートも勿論頂くつもり。あいつが俺の誕生日を祝ってくれると言うんだから、素直にご馳走になろう。シゲ相手には、本当に単純で分かりやすい人間になってしまう俺。シゲからのハッピーバースデーがこんなに俺を嬉しくさせるなんて。心臓の鼓動がいつもよりも速い。なんだか切なくなる程に。
シゲから、面と向かってもおめでとうを言って欲しい。そうしたら俺は、どんな顔をするんだろう。きっと満面の笑みで返してしまうんだろうな。ちょっと恥ずかしくて、そして悔しいけど。
終(2011/11/30)