魔法のてのひら
昼休みの屋上。最近ではすっかり定着したその場所、いつもの様に学校の一番てっぺんで昼メシを取る。
向い側には青い空をバックに、その色に映える金色の髪の持ち主、菓子パンを頬張っているシゲがいる。朝練でのサン太との絡みを面白可笑しく話すので、笑って相槌を打ちながら弁当を食う。
いつもなら箸が進む安らぎのランチタイム。の、筈が今日はあまり食欲がない。だけどせっかく作ってくれたのに残したら母さんに申し訳ないしと思いながら、機械的にもそもそと弁当箱と口との間で箸を往復させる。本当なら好物の卵焼きを無理矢理飲み込んだ所で、シゲが話をストップしていた事に気付いた。首を少し傾けながらこちらをじっと見ている目と視線が合う。
「…なんだよ」
真っ直ぐに見られている居心地の悪さからぼそりと言うと、返事をしないままにシゲがこちらに身を乗り出して来た。その腕をすっと伸ばす。
何?と再び問う間もないうちに、シゲの伸ばした手の平が自分の額に触れて来た。反射的に目を閉じると、瞼の内側がじんわりと熱い。一瞬離れたシゲの手が少しだけ角度を変えて戻って来た。そのまま少しの間軽く押し付けられる。
あ、なんだか気持ちがいい。
「…たつぼん、デコあっつい」
額に置かれた手の平が離れて行くのが分かったので、ゆっくりと目を開くと俺をじっと見詰めているシゲの瞳があった。お前、距離が近いんだけど。
「目、とろんとしとるし。熱あんの?」
「え?そんな目してるのか?いや、分かんねぇ。測ってねぇし」
「まさかシゲちゃんに見惚れて目潤ませてるわけやないやろ」
いや、男前なのは分かってるけど、なんて言いながら今度は頬に手を当ててきた。そんなふざけた言葉には、そんな筈ねぇだろ、と返す。
「なんか、顔あっついで。あるんちゃう?」
あ、やっぱり気持ちいい。シゲの手がそんなに冷たいわけではないと思うけど、それでも少しひんやりと感じられるのはやっぱり俺の方が熱いからなんだろうか。
それともそれがシゲの手だから、気持ちいいと思うんだろうか。
「風邪の引き初めかな。うちのクラスにも結構咳してるやつとかおるし、流行ってるっぽいしな。たつぼんとこのクラスは?」
「うちんとこも結構流行ってるみたい。風邪で休んでるやつもいるし」
季節の変わり目と言う事もあるのだろうか、シゲの言う通り、自分のクラスでも咳をしていたりマスクをしているやつが何人かいる。でも自分は大丈夫、風邪を引く程ヤワじゃないと思っていたのに。
実は今日の朝からちょっと様子が違っていた。いつもならすっきりと起きられるのになんとなく目覚めが悪かった。喉がちょっと痛くて、体も重い様な気がした。
やばい、風邪かなと思いつつも、それでもベッドから起きられない程体調が悪いと言うわけでもなかったので、そのまま起床して朝練にも参加した。だけどその後、午前の授業を受けるにつれて段々と体がだるくなっていって。時々頭痛がするし、この倦怠感は発熱しているんだと思う。
なんとなく、なんだけどシゲに自分の体の不調を知られたくなくて、普通にしていたつもりだったんだけどあっさりと気付かれてしまったのがちょっと癪だ。
「体だるい?たつぼん」
じっと見詰められて一瞬返事に詰まる。じっとこちらを見ているシゲの端正な顔。心配してくれている声音が伝わって来て心地良い。
シゲに具合があまり良くないのを知られたくなかったのも事実なら、俺の変化に気付いてくれて嬉しいと思っているのも事実で。我ながら矛盾してるけど。
「…うん、実はちょっと」と、意地を張らずに素直に認める。
「弁当食うの、やけに遅かったしなんとなくしんどそうやったもんな。あんまり具合悪い様やったら早退した方がいいんちゃう?」
「いや、それほどひどいわけでもないし、後2時間だから授業は受けとく」
俺の言葉に、流石優等生、とシゲが笑う。
「俺やったら熱でも出ようもんなら、もうさっさと帰るけどな」
「確かにお前はちょっとの事で授業さぼりそうだよな。全然大した事なくても、俺帰ります〜って」
「…それは確かに間違ってないかもしれへんけど」
でも俺に対する偏見も入ってるやろ、そこには、とシゲが大袈裟に唇を尖らす。その子供が膨れた様な表情に思わず吹き出した。
「ま、ええわ。授業はともかく今日の部活は休んどき。俺からコーチに言っとくさかい」
「え、別に平気だけど。この位」
「平気やないやろ、目、そんなにとろんとさせといて」
これが夜なら、自分誘ってんの?な勢いの目しとんで、なんて言葉はス
ルーして。
「これ位なら体動かしているうちに治る」
「無茶苦茶言ってんな、たつぼん。やめときって」
「えー、平気なのに」
「えーって何、えーって、自分」
子供の様な甘ったれた俺の言い方に、シゲが呆れた口調で返す。
「熱ある時に部活やって、もっとひどくなったらどうすんねん。軽いうちにしっかり治しておいた方がいいやろ」
いつになくシゲに真面目な顔で諭される。本当は自分も本気で部活に出るつもりではない。喉は痛いし、結構真剣に体はだるいのだ。ただ、珍しく体調を崩して、心配してくれるシゲに甘えてみたくなっただけ。駄々っ子の様な事を言ってシゲに諌めて貰いたかっただけだ。
この俺がこんな風に思うのも、きっと滅多に出さない熱なんか出したからに違いない。
シゲの真面目な顔が可笑しかったのと、それが自分を気遣ってくれてるんだと言う嬉しさから、笑いが込み上げた。くすくすと笑う俺に、何笑ってるねん、と訝しげにシゲが問う。
「いや、何でも。うん、そうだな。今日は部活は休むよ。早めに帰ってゆっくり休む」
体調管理もスポーツ選手がしっかりとするべき事なのだ。
「お、素直なぼんやな。ええ子」
笑いながらシゲが髪を撫でて来た。子供扱いするんじゃねぇと返す言葉もそれほど勢いがない。だって別に嫌じゃないから。
「帰り送ってってやろうか?」
「それほど重病人じゃねぇって。さぼってねぇでお前はしっかりと部活に出ろ」
「もー、たつぼんたらとことんキャプテンなんやから。シゲちゃんがこないに心配してんのに」
よよよ、と泣き真似をするシゲに、お前、大袈裟、と素っ気無く返す。だけど本当は相当嬉しかったりしてるんだ。俺を気遣ってくれてるお前の口調とか。大丈夫?と言ってるお前の眼差しとか。そんなのがかなり嬉しい。柄にもなくお前に甘えてしまいたくなる程に。
母さんには悪いけど、半分ほど残したまま弁当箱の蓋を閉めた。昼休みが終わるまでには、まだ少し時間がある。
立ち上がってシゲの座っている側の方に向う。どした?と問い掛ける金髪の隣に腰を下ろして身を寄せる。シゲの肩に頭を乗せて凭れ掛かると、おっ、と隣から驚きの声が聞こえた。
「何、珍しい。たつぼんが甘えとる」
肩に凭れたまま、そっと目を閉じる。二人の学ラン越しに伝わって来るシゲの体温が暖かい。あぁ、やっぱりこいつに触れていると気持ちが落ち付くな。
「偶にはいいだろ、病人なんだから。肩くらい貸せ」
「さっき重病人じゃないって自分で言っとらんかった?」
「重病人じゃないよ。でも病人だから」
「はいはい、威勢が良くって、偉そうな病人やけどな」
こんな肩で良かったらなんぼでも貸しまっせ、とシゲが可笑しそうに笑う。その僅かな振動がこちらにも伝わって来る。時折吹いてくる風が頬に気持ちいい。何よりもシゲに触れ合っている自分の右側が気持ちいい。昼休みがまだまだ終わらなければいいのに、なんて思う。
シゲの肩に頭を預けたままそっと目を開くと、自分の足の上に乗せているシゲの手が目に入る。自分より少し大きくて骨張ったそれ。
さっきシゲにその手の平で触れられた時、凄く心地良かった。なんでお前に触れられると、あんなに気持ちが良くって落ち付くのかな。少しだけでも具合が良くなった様な気がするのはどうしてなのかな。それはシゲの手の平だからなのかな。
だけど、時に拠ってはそれは俺をどきどきさせたり、煽ったり、熱くさせたりもする物に代わるから始末が悪い。
ひょっとしてお前のそれ、魔法が使える手の平なんじゃないか、なんて事を考えてしまうのは。
そんなふざけた事を思い付いてしまうのは、やっぱり熱のせいなんだろう。
終(2006/01/30)