窓からのオレンジ


真夏を思わせるような強い陽射しと高い気温の中、存分に体を動かして汗を流した。未だ沈み切っていない太陽の光を背中に受けて、部員たちが部室に雪崩れ込む。誰よりもいち早く着替えを済ませて、部誌を書く為にテーブルに向った。話をしながら、笑いながら着替えをしていたチームメートたちが、一人、また一人と身支度を終えて部室を出て行く。

「水野ー、お先ー」
「おつかれ。また明日な」
「シゲ、明日は朝練遅刻するなよ」
「あー、そやな。善処するわ」

水野君、シゲさん、また明日ね、と風祭の元気のいい声に返事をして見送ると、部室に残ったのは、俺と金髪野郎の二人だけになった。その金髪は、つかれたー、と伸びをして、テーブルの反対側に陣取ってはその辺にあったサッカー雑誌を捲り出す。いつものように。

いつもと何ら変わらない普通の日なんだけど、いつもとはちょっと違う特別な夏の日。

さっきまであった賑やかな喧騒は綺麗に消えて、今は静かな空気が二人を包む。聞こえるのは俺がシャーペンを走らせる音とシゲの歌う小さな鼻歌だけ。その機嫌の良さそうなメロディーに口元を緩めてシゲの方を見ると、夕陽に照らされて金髪がその明るさを増していた。綺麗だな、と柄にもない事を思ってしまい一瞬見惚れた後で、慌ててシャーペンを握り直す。その姿がやけに大人っぽく見えたのは、沈んで行く陽の光の効果のせいだろうか。

「…たつぼーん」
「…何?」
「腹減った」
「俺もだ」
「なら急いでや」
「急いでる」
「もっと急いでやー」

雑誌から顔も上げずに呑気な声でシゲが急かす。見惚れていた事に気付かれた?と内心焦りながら、再びシャーペンを走らせた。いつもより倍のスピードで。今日ばかりは俺だって早く切り上げたい。

『…来週の火曜日、部活の後、なんか予定入ってるか?』

どこかに行こうとか、何かを食べに行こうとか、誘い合うのはよくある事で。その誘いも別になんという事もない筈の物だけど、いつもよりも心臓の鼓動が早かった。その日はシゲに取って特別の日だから。そして今や俺に取っても特別な日になったから。

『来週?いや、来週は特に何も入ってへんけど』
『じゃあその後、どっかになんか食いに行かねぇ?』
『ええよ。ええけど、なんで火曜日?』

交友関係が広く、助っ人の依頼も結構来るシゲは、予定が入りやすく毎日忙しい。男同士という変則的な組み合わせとはいえ、一応恋人同士の俺たち。恋人の誕生日には一緒に過ごしたい。そしてお祝いをしたい。少し前までの自分なら思い付きもしない事を考える自分に照れながら、シゲの予定が埋まる前に、なんて思って誘いを掛けたのが先週。『その日』を忘れていたらしいシゲは、来週の火曜日っておうちの人、おらんの?なんてとぼけた事を聞いてきた。

『…来週の火曜日って何日だよ』
『えっと、今日が3日やから、来週は…』

えっと、と考えていたシゲが、その事に気付いたようでハッとした表情を浮かべた。俺の方を見る。

『来週火曜日って8日?』
『そう。8日だろ』
『ひょっとして、俺の誕生日祝ってやろう、思てる?』
『他に何があるんだよ』

疑わしそうに聞いてくるシゲにぶっきらぼうに返してやると、目の前の金髪が嬉しそうに満面の笑顔を見せた。

『うわ、ほんま?めっちゃ嬉しい。たつぼんが俺のバースディ覚えててくれたなんて。ヒマ、ヒマ。シゲちゃん、その日は一日中ヒマやから』
『一日中って、お前学校も部活もあるだろう』
『いやいや、なんやったらサボリますが』

ストレートに喜ぶシゲに俺も嬉しい気持ちが込み上げながら、サボリは駄目、とぴしゃりと言ってやる。それでも目の前の笑顔は消えない。好きな人の特別な日に一緒に過ごしたいと思う気持ちなんて、シゲと付き合うまで知らなかった。一緒に過ごせると思うだけでこんなに嬉しいという事も。シゲの笑顔は、シゲも同じ気持ちでいてくれてるのかな、と思わせるような満面の笑顔だった。その事が更に俺を嬉しくさせた。


いつもの倍のスピードで書き込んだ部誌の文字を見直す。かなり雑なそれに苦笑するけど、一日くらいは見逃して欲しい、と部誌を閉じる。相変わらず適当な鼻歌を歌いながら、雑誌を捲るシゲに、お待たせ、と声を掛けた。いつもよりも色の濃い金髪が勢いよく頭を上げた。

「お、終った?いつもよりも早いやん」
「急いだんだよ。お前が急かすから」

本当は自分が早く終りたかったからなのだけど。

ほな、いこか、と自分のバッグにシゲが腕を伸ばす。そのバッグがいつもより、膨らんでいるのには気付かぬ振りをして。多分こいつの事だから、誕生日プレゼントと称して女子たちから色々な物を貰ったのだろう。実際さっきも、部活の休憩中に手作りのクッキーらしき物を手渡されていた。気にならないと言えば嘘になる。でも。

「腹へったー。じゃあディナーに行きましょか、バースディディナーに」
「ディナーってなぁ、お前…」

せっかくのシゲの誕生日なんだし、大した事は出来ないけど俺が奢る事になっている。小遣いの残り状況から、いつものファストフードの店ではなくちょっと奮発してファミレスにでも行こうと言う事になった。それでも『ディナー』のイメージからは程遠い。

「ファミレスでディナーはないだろ」
「なんで?たつぼんとならどこで何を食っても超豪華ディナーやで」

やってたつぼんと一緒なんやもん、なんて調子のいい事を機嫌良さそうに言う。どこが超豪華なんだか、と突っ込みを入れながらも、そんな言葉に簡単に気分が上昇する自分も相当単純だ。

「どこでもいいのか?」
「どこでも」
「じゃあ予定を変更して、スーパーの隅の食品コーナーでもいいか?そっちの方が俺も助かるし」
「…いや、出来れば当初の予定のままでお願いしたいんですけど」

下手に出る風に言うシゲに笑いながら、俺も自分のバッグの方へと向った。夕日に照らされて辺り一面が、綺麗なオレンジ色に染まっている。

バッグのファスナーを開け、下の方に入っていた包みに手を伸ばす。シゲへのプレゼントだ。ディナー会場(?)で渡すのも恥かしいし、今ここで渡してしまおうと取り出してシゲの方へとそれを差し出した。

「シゲ、これ、誕生日おめでとう」

オレンジ色のシゲの顔が一瞬驚いた後で、嬉しそうな表情に代わる。

「ディナーの他にプレゼントもあるん?うわー、めっちゃ嬉しい」
「大したもんじゃないんだけど…」

中学生の小遣い程度では買える物など高が知れている。本当に大した物は上げられなかった。それでも、自分なりに何を贈ったらいいだろう、喜ばれるだろう、と散々考えて悩んで探して。何軒もショップを巡って。そんな楽しい苦労も、シゲの喜ぶ顔が見たいからで。

実際に目の前で嬉しそうなシゲを見ると、込み上げて来るのは自分も嬉しいという感情。単純に、素直にそう感じる。こんな時なら言ってもいいだろうか。一年に一度しかない日だし。いつもは言えない事を。

開けていい?と聞いてくるシゲに、ちょっと待ってと制した。

「うーんと、その前に」
「うん、何?」
「えっと、だな」

言い慣れない事を言おうとすると、なんだか緊張する。でもこの機会を逃したら、今度いつ言えるか分からないから頑張らないと。深呼吸を一つ。

「誕生日おめでとう、…っていうのはさっき言ったか。えと、この日があったからお前がここに居るわけで」
「うん…?」
「なんて言うか、お前が居てくれてすげー嬉しいし、今日ってそのお前が生まれた特別な日だし。生まれて来てくれて良かったっていうか」
「…」

自分でも何を言いたいのか、分からなくなってきた。シゲがポカンとした顔でこちらを見てる。お前が生まれて来て嬉しい。お前に遭えて嬉しい。お前が生まれて来た日に一緒に居られて嬉しい。そんな事を言いたかったのだけど。

いつもは素直じゃない俺。可愛くない発言も数知れず。シゲが好きだと思っていても、そんな事は言わない。言えない。
でも今日なら、シゲの特別な日なら、普段は言いたくても言えないような事を言えるんじゃないだろうか。言ってもいいんじゃないだろうか。

シゲが好きだと言う事を。

「えーと、うん。生まれて来てくれてありがとう。今日一緒に居られて嬉しい。……えーと、それで、それって…お前が、好きだから、なんだけど」

次に何を言おう、どうまとめよう、と考えているうちに、唐突に出て来てしまった言葉。なんの繋がりも脈絡もない。シゲが驚いて目を見開いている。自分も驚いた。俺はもっと弁が立つヤツなんじゃなかったっけ?

「…えーと、おおきに」

自分よりもっと弁が立つ筈のシゲが口篭もる。口の辺りに手を当てて、視線を外した。俺の珍しく素直な発言に、シゲの珍しく照れてる様子が見られた。その姿がなんだか可愛いと思ってしまう。悔しい事に今日からしばらく、二つ違いのヤツなのに。

「いや、嬉しいわ。嬉しいけど、たつぼんの口から好きとか聞くと、ちょードキドキする」
「お前、顔真っ赤」

自分だってドキドキしてるけど、滅多に見られないシゲの照れてる姿に、からかうように笑って言った。

「たつぼんやって赤いやろ。俺の顔が赤く見えるのは夕日のせいや」
「俺だってそうだ。でもシゲのは照れて赤くなってる」
「違うって。俺のは夕日。たつぼんが赤くなってるの」

多分二人共顔が赤くなってる筈。だってこんなに顔が熱いから。でも赤面するなんて恥かしいから、それは夕日のせいにしてしまおう。なんていいタイミングなんだろう。

二人でクスクス笑い合って、どちらからともなく額をくっ付けた。

「たつぼんから好きなんて言われると、こんなに心臓バクバクするもんなんやなー。言われ慣れてへんし。予想外やったし」

お前、案外純情なんだな、と笑いながら言ってやると、言ってろ、と髪を軽く引っ張られた。

「…でも俺も、言い慣れないからスゲー恥かしかった」
「うん、実際めっちゃ噛んでたしな」

今度は反対に笑われたから、うるせ、と軽く睨んでやる。

恥かしかった。でも言いたかった。いつも思ってる思い。思っても簡単には言えない気持ち。
シゲの特別な日に。

「好きって言われるの嬉しいけど、あんまりしょっちゅうだと心臓イカレそう」
「いや、しょっちゅうなんて言う気ねぇし」
「うーん、やけど偶には聞きたいわ。たつぼんからの告白。…な、また来年の今日、言うてくれへん?」
「来年の今日?お前の誕生日に?」
「そ。シゲちゃんが生まれたこの目出度い日に」

あんな恥かしい思い、当分したくはないと思うけど、一年後ならまぁいいか、と遠い日に思いを馳せる。一年に一度位なら、素直な気持ちを告白する事も。

「分かった。じゃあ、この先一年は言わないけど」

来年の今日な、と言うと、シゲが、やった、来年の誕生日のたつぼんとの予約取った、と嬉しそうに笑った。

来年も、再来年も。その後もずっと予約入れといてくれてもいい。俺だってこの日はずっとお前と過ごしたいと思ってるんだから。

誰かの誕生日に一緒に過ごしたいと思う気持ちなんて、シゲと付き合うまで知らなかった。一緒に過ごせる事がこんなに嬉しいという事も。何を贈ったら喜んでくれるだろうと、頭を悩ます事が楽しい苦労である事も。好きな人が他の子から貰うプレゼントに対して苦い気持ちが湧く事も。それでも今、ここで一緒に居るのが自分だと思うと、湧いてくるのは優越感と言う事も。シゲを好きになって初めて知った。

辺りは一面オレンジ色。俺とシゲの顔もその色に染まる。今なら顔が赤くなっても分からない。物はついで、とこれまた珍しくシゲの方に腕を伸ばして、顔を自分の方に引き寄せた。唇が触れ合う寸前に、もう一度誕生日おめでとうと告げる。15才になったばかりのシゲの唇を感じるのが自分だという幸せを噛み締めて。

終(2008/07/08)