ラヴァーズコンチエルト


陽の傾きかけた放課後。自分以外誰も居ない静かな広い教室。聞こえるのは流暢な、とはとても言い難いたどたどしいピアノの調べ。それを奏でているのは他でもない俺自身だ。

さっき記憶の欠片から引き出したばかりの短い曲を、もう一度最初から通して弾けるかな、と思っていたら、お前、何してんの、と前方の引き戸の方から待ち人の声が聞こえた。顔を上げて確認するまでもない、水野竜也、その人だ。

今日は職員研修で授業が短縮。教師が不在になるので、部活も中止と知ったのは先週の事。毎日ハードな練習に明け暮れるサッカー部員の一員としては、たった1日の休日でも嬉しい。やった、と思わず声が出た。尤も練習バカな若干名、茶髪のキャプテンや小柄なクラスメートは残念がっているだろうけど。

とにかく、ふいに沸いた貴重な放課後空き。しかもその日は密かに何か出来たら、と前から思っていた日なのだ。その日は30日、いとしのサッカー部キャプテンの誕生日だ。


頼りになる素敵な彼氏としては、恋人の誕生日ともなれば高価なプレゼントに豪華な食事と決め込めたい。ただ、その日は月末だ。フトコロが厳しいのは目に見えている。というか、月初でも月中でも、フトコロが厳しいのは同じなのだ。親元を飛び出して、他人にお世話になっているこの身。部活が忙しい事もあって、頼りの助っ人家業もこの所ご無沙汰でさっぱり見入りがない。ぶっちゃけ金がない。それでも意地っ張りな可愛い恋人の特別な日だ。自分に何か出来る事はないだろうか、と考えていた矢先、当の本人から、今度の30日にうちに食事に来ないか、と誘いが来た。

『30日って…、たつぼんの誕生日の日?』

すかさずそう返すと、え、お前、覚えてたのかよ、と驚いた風な返事が来た。忘れるはずありません。ここの所、ずっとその日の事で頭を悩ませていたんですから。

当然やろ、と自信満々に言うと、ふーん、と簡潔な答え。でもその素っ気無い言い方の中に、嬉しさが滲んでいるのを見逃す程俺は鈍くない。

『とにかく、その日。部活がなくて早く帰れるって知ったら、母さんとばあちゃんが張り切っちゃってさ。せっかくの誕生日だからご馳走あれも作る、これも作るって言い出して。どんな大パーティだよ、って感じ』

苦笑しながら言うけど真里子さんとばあちゃん相手には反抗期知らずのこのお坊ちゃんは、はいはいと素直に頷いたんだろう。こんな年にもなって誕生日のご馳走なんて面映いものだけど、勝手に計画を立てて行く女性陣に大人しく従うたつぼんが簡単に想像出来て可笑しい。

『二人とも嬉しいんやろ。大切なたつぼんの誕生日なんやから。きっと、たつぼんの好物がズラーっとテーブルに並ぶんやろうな』
『多分な。俺がいくつになるか知ってる?って聞きたいくらいだけど。…でさ、女たちは大した量を食べないし、俺一人じゃとても食いきれそうにないから、お前も食べに来いよ』
『そりゃ、嬉しいけど。ええの?俺が行っても』
『何殊勝な事言ってんだよ。いつも遠慮しないでうちのメシ食いに来るくせに。母さんたちにはもう言ってるから。つーより、母さんが言い出したんだ、部活がないならシゲちゃんも呼んだらって」

大切な一人息子の誕生日に名指しで呼ばれるなんて、ひょっとして俺って家族の一員として認められてます?将来のお義母さんが、あんな美人で優しい料理上手なんて、俺は幸せ者です。

『真里子さんのお誘いとあっちゃー、お断りするわけにはいかんなぁ。有難く行かせて貰うわ』

そう言うとたつぼんの顔に、少しだけ笑顔が浮かんだ。嬉しさが分かりやすく表情に出難い彼としては、これは満面の笑みと同等な物だ。

『お前が来るとうちの連中、喜ぶんだよな。お前、口は達者だし、調子いいし』
『なんやその言い方やと、誉められてる気がせんなぁ。明るくて社交的って事やろ』
『はいはい、明るくて社交的で、お調子者で』
『1個余分やな…。で、俺が行って喜ぶのは、おうちの人だけ?』
『は?』
『たつぼんは?』

喜ぶ?俺が行ったら、と視線を投げ掛けると、ばーか、とまことに可愛くない予想通りの返事が来た。

『関西人にバカ言うな』
『お前がバカな事を言うからだろ』

ばーか、の後に、そんなの決まってるだろ、が言えないのはたつぼんの仕様だ。照れて泳ぐ視線が、言えない言葉を雄弁に語っているのは丸分かりなのに。

付き合い出して初めての恋人の誕生日。二人で過ごしたいとか、何か特別な事をしたいとかの気持ちは勿論ある。でも色々な諸事情(主に金銭面)で、残念ながら今の俺にはムリ。特別なバースディはもう少し先のお楽しみに取って置いて、今回は美味しいご馳走を家族と一緒に頂く事にしよう。

中学生っぽくて、いいんじゃない?なんて自分を納得させるように思っていると、俺の空っぽの財布の中身を知り尽くしているたつぼんから、気を使って何か持ってくるとかしなくていいからな、と言われた。すみません、甲斐性のないカレシで。どうかこれからの俺に期待していて下さい。


お前、何してんの?と言いながら、音楽室にたつぼんが入ってきた。ひと気がない教室で発する声というのは、やけに通る。

「うーん?見ての通り」
「見ての通りって、勝手にピアノ弾いたら先生に怒られるだろ」
「ちょっとくらいなら、かまへんて」言いながら、ゆっくりと鍵盤を押すのを止めない。

俺たちはクラスが隣同士。部活がない時に一緒に帰ろうとしたら、早く終った方が隣のクラスに様子を見に行ったり、教室で擦れ違って会えなかったら玄関で待っていると何となく会える。ただ今日の曜日は、2−Aは音楽室の掃除、2ーBは美術室と今学期固定というのをお互いに分かっている。美術室から階段に向かう途中に音楽室があるので、ここに残っていたらたつぼんはきっと気が付くだろう、そう思って、掃除が終った後も同じ班のメンバーを先に帰して一人残っていた。その目論見通り、俺に気付いたたつぼんがピアノの側に近寄る。

「どうしたんだよ。突然、ピアノに興味でも持ったのか?」
「うーん、そういうわけでもないけど」

特別ピアノに興味を持った事はないし、多分これからもないと思われる。そう言えば、昔ネコ踏んじゃったはめちゃめちゃ早く弾けたな、なんて事を思い出した。ああ、ナオキは全然覚えられなくて、直ぐ投げ出したっけ。

「まぁ、そこに立ってって」
「立ってるだろ」

なんなんだよ、と訝しがりながらも素直に従う所が可愛いと思う。

たつぼんに捧げます、と前置きして歌い出したのは、かの有名な誕生日ソング。ひと気のない教室に程よく反響して響く自分の歌声。中々の美声だけど、ちょっと照れる。でも今は照れはどこかに置いといて、ディア、たつぼーん、の所で、にっこりしながら歌われてる主を見ると、目を大きく見開いて固まっていた。ぼーん、の部分を長々と伸ばした後、最後のフレーズをゆっくりと歌い上げる。そして仰々しく腰を折って執事のようにお辞儀をすると、力のない拍手が聞こえて来た。

「何、シゲ。お前、これをするためにここに残ってたのか」

苦笑まじりの呆れたような顔で問われる。

「ま、そやな。たつぼんに捧げよ、思て。形はないけど、バースディプレゼントや」
「そりゃ、サンキュ。でもお前、ピアノの前に陣取ってるけど、今触ってもいなかったじゃん。かっこだけ?」
「いやいや、本番はこれから。たつぼんに捧げます、第2段」

歌を歌うだけなら、道を歩きながらだって出来る。それも相当恥ずかしいけど。でもそうではなく、これからが本番。演奏するのは、さっきクラスの女子と一緒に弾いた短いピアノ曲。総練習時間、10分弱。最初の音は、ソ。ポロン、と鍵盤に指を落とした。

この音は伸ばして、ここは速く弾いて。ここで指をずらして、ここで指を潜らせて。一本の指だけで弾いてるわけじゃなく、5本全部使ってる所が我ながら凄いと思う。まぁ、使っているのは右手だけだけど。音を伸ばして前半終了。ここから、また最初と同じ、ここの音はちょっと長く。この先は前半と違うから要注意。最後の音をしっかり伸ばして、フィニッシュ。

さっきのアカペラの時よりも、もっと仰々しくお辞儀をすると、たつぼんもさっきの拍手よりは力強いのをくれた。そして、今度は苦笑なしの嬉しそうな笑顔。

「お前、ピアノ習ってた事は、…ないよな」
「あるかい。もしあったら、もっと凄いのババーンと弾いたるわい。竜也君に捧げます、言うて」
「なんでそこだけ竜也君なんだよ」と、竜也君は可笑しそうに笑った。


さっきクラスの班でここを掃除していた時。吹奏楽部の子たちが二人居て、もう直ぐ定期演奏会があるのでその為の練習が毎日超ハード。土日も関係なし。今日みたいなお休みは嬉しいよね、と話していた。自分も練習の厳しさでは定評のあるサッカー部部員だ。土日も勿論練習。偶の休みは嬉しいなー、嬉しいねー、と共感し合っていた。
どんな曲を練習してるのかを尋ねると、色々なタイトルの中に懐かしい響きのタイトルがあった。小学校の低学年の時に鍵盤ハーモニカで弾いた事がある曲だ。素直なメロディーが頭の中を巡った。

それって、こんなやつやっけ、とピアノの蓋を開けて弾き出すと、勝手に弾くと先生に怒られるよー、と言いながら女子たちはピアノの側に寄ってくれた。俺の弾くたどたどしいメロディーを聞き、うん、それそれと頷く。昔一生懸命練習したな、と懐かしく思い出す。それでも動きは割と単純だし、忘れてた部分を女子たちに教えて貰ううちにすっかりメロディーが蘇っていた。スラスラ、とは行かないものの、何の曲かは分かる程度の演奏になった時、シゲちゃん、上手、と女子たちに言われて少しいい気分になったのはたつぼんには内緒だ。

溢れる程の愛を携えてたつぼんちにお邪魔はする。けれど、せっかくの誕生日。それだけでは何か淋しいと思ってしまうのも事実だ。何かないだろうか、とずっと考えてはいた。そして特に思い付かないうちに当日。こうなったら、午後ティーでも、と決めた矢先、さっき、女子たちと話していて浮かんだ咄嗟の思い付き。昔弾いた事のある曲。なんと言っても、タイトルの響きがいい。碌なプレゼントは出来ないけど、これを演奏してプレゼント代わりにたつぼんに捧げよう。

「ずっと練習してたのか?」
「えと、いや、…実はほんの少し」

さっき思い付いたので。総練習時間、10分弱だ。

後半の言葉は飲み込んだけど、口篭もる俺にたつぼんが笑った。

「そうなのか?その割にはちゃんと曲になってたんじゃねぇ?」
「そう?そやろか?やっぱりなんでも器用にこなせるシゲちゃんやから出来るワザかな」
「言ってろ」

片手演奏だし、テンポはばらついてたし、何個か間違ったし、全然ちゃんとした曲なんかじゃない。でもたつぼんが嬉しそうに笑ってるから、まぁ、良かったかな、という事で。

「サンキューな」
「うん?」
「誕生日プレゼントなんだろ?俺への」
「おう。たつぼんの14回目の誕生日への捧げ物です。シゲちゃんより愛を込めて」
「やっぱりお前が言うと、ただのお調子者にしか見えないんだよなぁ」
「ひど」

言いながらピアノの蓋を閉めた。やり慣れない事をすると、妙に緊張して疲れる。さぁ、ご馳走や、ご馳走、とたつぼんを促して音楽室の引き戸へと向かう。

「あれ?もう終わり?」
「もー、欲張り屋さんやなぁ。シゲちゃんの演奏をもっと聞きたいのは分かるけど、これでもうお終い。リサイタルは終了」
「超短いリサイタルだな。って、今のリサイタルなのかよ」

廊下に出ると生徒の人影はなかった。見回りの教師に出くわさないよう、水野家に向かうべく二人で足を速めた。

「でも、まぁ、お前のピアノ弾いてる姿、ちょっと様になってたかも」
「お、ほんまに?」
「予想外だったからかな、シゲとピアノって。意表をつかれたから、様になって見えたのかも」

こんな事いうのは癪だけど、な風なたつぼんの言葉。でも一応誉め言葉と受け取っておきましょう。

「惚れ直した?」
「なんでそうなるんだよ。…まぁ、そういう事にしてもいいけど」

素直じゃないたつぼんの、やっぱり素直じゃない愛情表現。ささやか過ぎてプレゼントとも言えないような代物だったけど、たつぼんが喜んでくれた様なので頑張ってみて(と言う程でもないけど)、良かった。このアイディアを思い付いた、さっきの俺、グッジョブ。そして取っ掛かりをくれた、カナちゃんとマユちゃん、どうもありがとう。

「ところで、さっきお前が弾いた曲、なんていう曲?」
「あれ?たつぼん、あの曲、知らんの?」
「うん。メロディーは聞いた事あるんだけど、題名は分かんないんだよな。なんて曲なんだ?」

自分が知ってるからたつぼんも知ってるだろうと勝手に思っていた。タイトルが俺たちにぴったり、なんて一人で悦に入って、たつぼんに捧げますの辺りでその意味に気付いて大いに照れて欲しかったのに。なんだ、そうか。知らなかったのか。

なんて曲?と疑問を投げ掛ける視線を受けて、あの曲はな…、と言い掛けた所で口が止まった。改めて言おうとすると、今度はこっちが照れてしまったのだ。

「えーと、実は俺も名前は知らないんや。メロディーが浮かんだのでなんとなく、な…」

誤魔化すように笑うと、たつぼんはふーん、とそれ以上追求しなかった。

「百合子辺りに聞いたら分かるかな」

今度確認してみよう、と独り言のようにつぶやいた所をみると、たつぼんの心の中に少なからず浸透したのかもしれない。俺の奏でた、たどたどしいメロディーが。

うん、今度確認して下さい。出来れば俺が居ない時に。柄にもなく照れてしまいそうだから。でも、たつぼんは俺の気持ちを受け取って、その時は一人で照れて下さい。

俺がさっき弾いた曲。タイトルを聞いて直ぐにたつぼんを思い浮かべてしまったその曲は。


『ラヴァーズコンチェルト』


終(2010/11/30)
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