君の手、その温かさ
「…うん、…あれ?」
部活終了後の部室。他の部員たちは皆帰宅して、ここに居るのは部誌を書いている俺と、その俺を待っているシゲの二人だけ。ノートにシャーペンを走らせていると、テーブルの向こうからシゲの慌てた様な声が聞こえた。
「…何やってんの?お前」
顔を上げると髪を結んでいたヘアゴムを外そうとしている金髪の姿。どうやら絡まってしまったらしく、中々それが同じ場所から移動しない。髪の長さが足りない為にそのゴムが顔の前まで来ない様で、頭の横の所に手を伸ばしてなんとかしようとシゲが苦労している。
「あー、あかん、めっちゃ絡まってる」
直に取れるだろうと視線をノートに落とした物の、取れへん、と言う情けない声は中々止まらない。しょうがねーなとシゲの方に身を乗り出した。
「ほら、見せてみろ」
「お、やってくれる?たつぼん」
ちょっと見たって、とシゲがこちらに頭を傾ける。見ると金色の髪に黒いゴムが見事に絡まっていた。
「うわ、ぐちゃぐちゃ。お前どんな結び方したんだよ」
「いや、どんなっていつもと同じやけど。強いて言うならいつもよりちょっと高い位置で結んでみましたけど」
「何、変な洒落っ気出してんだよ…」
高い位置だかなんだか知らないけど、こんなに絡まっていたら確かに取るのに一苦労だ。結ぶ時に変な事をしたのか、今取ろうとした時にしくじったのか。
それはともかく取り敢えずこれを外さなくては話にならない。硬めで明るい色の髪に手を伸ばし少しずつ解きほぐそうとするけれど、中々ほどけない。
「…取れねぇ」
自慢じゃないけどこう言う細かい作業は苦手なのだ。そんな俺が苦労して頑張っていると言うのに、この原因を作った男は呑気な声で、たつぼん、まだー?なんて聞いてくる。全然まだだよ。
「…なんか面倒臭くなってきた。これ、根っこからゴムごと引き抜いてもいいか?」
「うわ、それだけは勘弁して」
「だって取れねぇし」
「いや、お願いします、たつぼんさま」
ハゲが出来てまう、と慌てふためいたシゲの声。それが可笑しくて、嘘だよ、と笑って作業を続けた。
「ほら、動くなって。じっとしてろ」
「たつぼん、言う事過激なんやもん」
それでも俯いてじっとしているシゲを見て、可愛いなんて思ってしまった。なんだかお前今、俺の言い成りだな。ちょっといい気分。
口元だけで笑いながら指先を動かす。金色の髪が少しずつ自由になって行く。奮闘の末にゴムを外す事に成功した。2、3本金色が抜けてしまったのはご愛嬌と言う事で。
ほら、取れたぞ、とシゲにそれを渡す。おお、サンキュー、と言うシゲの返事を受けて、再び部誌を書くべく椅子に座った。さっきはどこまで書いていたっけ?
シャーペンを手に取って書き込もうとすると、シゲがこちらを見て可笑しそうに笑顔を浮かべているのが目に入った。
「…何、笑ってんだ?」
「うーん?いや、たつぼんが俺の為に一生懸命になってくれたから嬉しくって」
「一生懸命って、たかがヘアゴム外しただけじゃねぇか」
「そやけどー。今、結構必死やったやろ?こんなに不器用なたつぼんが俺の為にーって思うと。思わず嬉しくなってもうた」
「…不器用は余計だ」
ぶっきらぼうに言い放ってやると、シゲがぷっと吹き出した。いつも一緒に居るシゲには俺の不器用さ加減はいいだけ知られている。その事を俺が密かに気にしている事も。そして目の前の金髪は手先が人並み以上に器用に出来ているから、腹が立つと言う物だ。
「やけど、たつぼんの指って長くて綺麗な指しとるやん。器用そうに見えるけどな」
「見えるだけで悪かったな」
不機嫌なのを露わに言うと、えー、別に悪い事あらへんよ、と軽くあしらわれる。
「見掛けが綺麗なのってええやん。ピアノとか弾いたらめっちゃ似合いそうな手やな」
「生憎興味ないんで」
「言うと思った」
「思うなら最初から言うなよ。て言うかお前うるさい。部誌が書けないだろ」
少し静かにしてろ、とぴしゃりと言ってやると、へーい、と笑いながらバッグからごそごそとコミック雑誌を取り出した。そう言うの学校に持ち込み禁止だろう、堅い事言いっこなし、見付からなければええんや、なんて会話も過去に何度した事か。全く、と溜息を吐きながら、再び部誌に向かい合う。自分の手が視界に入る。
俺の指がなんだって?長くて綺麗?
そんなの自分でも思った事がなかったし、誰かに言われた事もない。だけどシゲがそう言うならそうなんだろうか。こいつに言われただけで、自分の指がいきなり体の中の美点になってしまったなんて。そんな自分の単純さに軽く呆れて顔が少しだけ熱くなった。
部誌を書く合間に、向い側に座っているシゲをふと見る。ぱらりとページを捲るその手、その指。俺よりも少し大きくて、少し長い。ごつごつしてて骨張っていて、完成された男の手ではないけれど、自分のよりは大人のそれに近い、と思う。そんな事を考えながら、自分の手と見比べた。
特別器用そうに見えるわけでもないシゲの手。でもその手先は細かい作業を綺麗にこなす事が出来る。特技の一つに手芸と言うのがあるらしい。女子たちに家庭科の課題で頼りにされているのも知っている。
何日か前、シゲのクラスの横を通った。特に探さなくても目に入って来る明るい髪。あ、シゲだ、と歩く速度を緩めると、金髪の持ち主は編み物をしていた。あれはマフラーだったと思う。
数人の女子たちに囲まれて、楽しそうに。
なんでだよ。大抵の男は手芸なんて苦手な分野だ。なのになんでお前はそんなのが得意なんだ。
ただでさえ、整った顔、目立つ格好、話し易い気安い性格。放っておいても女子たちに好かれる要素を持っているお前が、なんで更に話し掛けるきっかけを作り易い特技なんか持ってるんだよ。
なんだか気もそぞろに部誌を書き終えて、シゲに声を掛けて二人で部室を出る。校門を抜ければ人気のない住宅街の中の道。真っ直ぐに続くそこに二人分の影が伸びる。
寒うなったな、と背中を丸めるシゲに適当に相槌を打って、そちらの方をちらりと見た。空いている左手が無造作に揺れている。シゲの手、シゲの指。堅くて大きくて、俺よりもいつも少しだけ温かい手。
多分俺だけが知っているその温かさ。シゲを囲んで笑う子たちも、可愛らしく話し掛ける子たちもきっと知らない。シゲの手の感触、温度。それを今、確かめたいと思った。
辺りを見渡しても、人の姿は見えない。この時間に人通りがほとんどない事は、毎日の通学で分かっている。ゆらゆらと揺れる手に自分の右手をそっと重ねた。シゲが驚いてこちらを見たけど知らぬ振りで。真っ直ぐ前を向いたまま歩く。心臓がドキドキ言ってる。手を繋ぐなんて初めてじゃないのに。
「…何、たつぼん、珍しい。自分の方から手ぇ繋いで来るなんて」
驚いた声で言いながらも、シゲが俺の手をぎゅっと握り返して来た。そんな小さな事が、堪らなく嬉しい。揺るんだ口元が気付かれない様に下を向いた。
ああ、やっぱりシゲの手の温度だ。俺の知ってる温かさ。俺よりも少しだけ温かい。
「…手」
「手?」
「手、冷えたから。お前いつも温かいだろ。だからお前ので温めようと思って」
「俺の手はカイロかい」
言いながらも声の響きは嬉しそうで。そう言えば俺の方から手を繋ぐなんて、珍しい、と言うよりも初めての事だ。だからこんなに心臓がドキドキしてるんだ。
「確かにたつぼん、今日は手冷たいな。冷え症になった?」
「いきなりそんなのになるか。今日は寒いってさっきお前も言っただろ。お前こそ、いつも手温かくて子供体温だよな」
「…子供に子供言われてしもた。シゲちゃんショック」
「誰が子供だよ」
「たつぼんに決まってるやん」
「子供はお前の方だ。この汗っかき」
「どこに汗かいてるねん。こんなにさらっとしてるシゲちゃんに向って。たつぼんこそ冷え性なんて女の子みたいやで」
「冷え症じゃねぇってば」
そんな憎まれ口を叩きながら、手は繋いだままで。いつしか二人で笑い合いながら、ジグザグとゆっくりと歩いて行く。
こんな風にシゲと手を繋いで歩くのは好き。自分よりも少し高めの温度が心地良くて、その温かさが自分の手に馴染んで行く過程が凄く安心出来て。今までも何度か俺の方からシゲの手を握りたいと思った事はあったけど、恥ずかしくて中々実行出来なかった。だからほんの少し勇気を出した、今日の俺を誉めてくれ。
シゲの手。温かい手。器用な手。その器用さが、他の誰か、俺の知らない女の子の笑顔を引き出す要員になるのなら、そんな物なくなればいいのに。シゲ自身以外の者に触れるのは、俺だけであればいいのに。
「…少しはぬくくなったみたいやな、たつぼんの手も」
優しい声でシゲが言った。内緒話する子供みたいに小さな声で。
真っ直ぐに続いてる、住宅街の中の道。シゲと俺だけの影が長く伸びる。この道がいつまでも続いていればいいのに。他の誰も通らなければいいのに。
「…まだ全然あったまってねぇよ。もうしばらく温めろ」
俺も小さな声で返した。了解、とシゲが握る手に力を込めたから、俺も力を込め返した。まだ全然あったまってない。だからまだまだ手を繋いどけ。
お前の手は俺の手を温める為だけの物であればいいのに。
終(2007/01/07)