イチゴシロップ
まだ寝てるのかよ、と呆れた声で起こされた夏の休日。
部活がない休日は、昼過ぎまでたっぷりと睡眠を取って、それからおもむろにたつぼんの家を訪ねるのが(俺が勝手に決めた)休日の過ごし方だ。訪問の許可を取る度、また来るのかよ、と口では可愛くない事を言いながら、その実ちっとも嫌がっていない事は、付き合いの長さと深さで知っている。しょうがねーな、母さんに何か作ってもらうように言うか、と面倒くさそうな言葉とは裏腹、その口調は軽いし表情は明るい。たつぼんが機嫌のいい時に見せる顔。思ってる事と言ってる事が違う、素直じゃないぼん。そんなところも可愛いのだけど、言うと怒られるので実際には言わない。
偶にしか。
明日たつぼんちに行ってもええ?と聞くと、昨日の反応は違った。別にいいんだけど、と語尾を濁した後、それより明日はシゲの部屋に行ってもいいか?と言う返事が来た。7月になってから、毎日暑い日が続いている。休みの日もたつぼんに会いたいのは勿論だけど、冷暖房完備の居心地のいいたつぼんの部屋で快適に過ごしたい気持ちもあったりする。なにせ自分の部屋はエアコンなんて当然のようにないし、何十年前製だか分からない古い扇風機があるだけなのだ。明日の気温によって、どこまで室温が上がるか分からない。
そんな事はたつぼんだって簡単に想像出来るだろうし、実際に確認もしてみた。それでも明日は俺の部屋に来たいという。珍しい。珍しいけど、たつぼんと過ごせるならどっちでもいい。今回は快適さは断念するか、と別にええよ、と返した。どうせお前は昼まで寝てるんだろ、午後に行くからな、と笑顔で言われて別れたのが昨日の事。
「まだ寝てるのかよ」
呆れた声で目が覚めた。近くに置いてある目覚ましを覗き込むと、1時少し過ぎ。こちらを見下ろしている綺麗な顔を寝ぼけマナコで見つめた。締め切った部屋はかなり蒸し暑く、掛け布団など完全に彼方の方に投げやられていた。
「…あー、たつぼん。おはよ」
「おはようじゃない。もう昼過ぎだ」
「…じゃあ、こんにちは」
間の抜けた挨拶をすると、呆れ顔がしょうがないなぁという苦笑いに変わった。軽いフットワークでカーテンを開けながら、
「来る時コンビニで差し入れ買って来たから。取り敢えず顔洗って来い。窓も締め切りで、空気が澱んでるじゃねぇか」と、捲くし立てられ少しずつ意識が覚醒して行く。
「やって窓開けっ放しで寝るの、物騒やし」
「だから、もっと早く起きれば済む話だろ、…って、お前、人が買ってきた物、勝手に見るな」
欠伸をしながら起き上がり、たつぼんが持って来た大きめの紙袋を覗き込んでいると、容赦ない声が飛ぶ。
「やって気になるんやもん、何があるのかなーって」
「もん、とか言うな。気持ち悪い。だから、先ずは顔洗って来い。寝起きのお前って、散々むさくるしいし」
なんだか好き勝手な事を言われてるような気がするが、こちらは持って来てくれた差し入れを頂く立場。大人しく言い付けに従う事にする。それに他のやつには、堅苦しく済ました態度を崩さない彼が、こんな風に軽口を叩く相手は俺だけだ。それも愛ゆえなんでしょう、と自分を納得させる俺は人格者?と、ゆっくりと部屋を出て行く背中に、腹減ってるんだろ、急いで戻って来いよ、とぼそりと声が掛かった。ぶっきらぼうに言い放った一言だけど、その一言が滅茶苦茶可愛い。そう感じるのもやっぱり愛ゆえなんでしょう、と口元を緩めながら、へいへいと後ろ向きで手を振った。
洗面所の窓から覗く空は快晴。今日も温度が上がっていそうだ。たつぼんが言う通り、窓も戸も締めっ切りで扇風機を回していたわけでもないので、狭い四畳半の中は程よく温室になっていた。こんな天気のいい日なんだから、外に出るのも悪くない。でもせっかくたつぼんが自分の部屋を訪ねて来たのだから、1日たつぼんと二人だけで過ごすのはもっと悪くない。温室状態の狭い部屋、普段からそんな状態に身を置き慣れていないあのぼっちゃんに少しでも密着しようとすると、暑苦しい、と撥ね付けられるのが目に浮かぶようだ。それをどうやってその気にさせるかを考えるのも楽しいのだけど。そんな事を思いながら、歯磨き用のコップをかたんと置いた。
部屋に戻ると布団は綺麗に片付けられていた。窓が開かれ扇風機も回っていて、通り抜ける風がさっき目覚めた時の篭った暑さを大分取り除いていた。几帳面でいい嫁さんになりそうなたつぼんが、ほら、と差し出したコンビニの袋を受け取る。おおきに、と言って中に入っていた菓子パンを取り出した。
「ほな、頂きます。まだあるみたいやけど、たつぼんは?食う?」
「俺はうちで食べてきたから。それはみんなシゲ用だから」
だからこれだけでいい、とポカリを取り出して。お前のはこれ、と差し出されるのは当然コーラの赤い缶。パンを一口齧り、コーラを一飲みすると、自分がいかに空腹で喉が渇いていたのかが分かった。
「あー、うまー。そう言えば、俺、腹減ってんねん」
「そう言えばって気付くの遅い。まぁ、こんな時間まで寝てたら腹も空くよな。さっさと起きて何か食えばいいのに。台所に食い物くらい、あるんだろ?」
「まぁ、なんかかんかあるにはあるけど。空腹より眠気の方が断然勝ちや。それにきっとたつぼんが何かお土産くれるやろなー、思ってたし。俺が何か食った後やったら、せっかく持って来てくれたのに申し訳ないやろ」
「いや、お前、たとえ寺のメシ食ってても、俺の差し入れくらい平気で食えるくせに」
「そりゃ、差し入れは別バラとよく言いますから」
そんなの聞いた事ないし、とたつぼんが可笑しそうに笑った。
窓から入ってくるわずかな風。音のうるさい時代物の扇風機。狭い部屋の中は決して快適とは言えないけど、この綺麗な笑顔がある限り、そこがどんな場所でもどこよりも居心地のいい空間になってしまう。
コーラを流し込み、2個目の菓子パンの袋を手にした時、さっきから気になっていた物に視線を送った。たつぼんの後ろに置いてある、大きめの紙袋。さっき手渡されたコンビニのビニール袋はその中に入っていた。
「ところで、たつぼん、それ何?」
コンビニの袋を入れるには大き過ぎるし、さっき覗いた時に何かが入っているのが見えたのだ。
「あ、えと、これか?」
後ろを振り向き、少し慌てたような声で。
「うん、それ、その袋。何が入ってんの?」
なんとなく隠している風にも見えて非常に気になる。たつぼんにしては珍しく、のろのろとした動作と歯切れの悪い口調で、えと、これはだな、と言いながら袋を前に出した。
「これは、お前に」
「俺にくれるの?」
「ああ」
袋から取り出したのは、綺麗に包装された四角い箱。
「差し入れの追加?っていうかお土産?やけに立派な包装やな」
ふーん、あそこで買ったのか、と店の名前が印刷されてる包装紙を見た。
「土産と言うか、えっと、ひょっとして、今日が何の日か忘れてる?お前」
「今日?今日は何の日?今日って7月の…」
残り少ない2個目の菓子パンを持ちながら、今日の日付けを思い出す。昨日は七夕だった。すると今日は。そこで、あっと小さな声が出た。今日は7月8日だ。今日のこの日は。
「え、今日って俺の誕生日?じゃあ、これって誕生日プレゼントなん?」
お前、自分の誕生日忘れてたな、と呆れながら笑う顔と、四角い箱を交互に見る。確かに忘れていた。今日が自分の誕生日だと、今の今まで。でもたつぼんは覚えていてくれてたのか。自分でも忘れていた日を、しっかりと。
「いや、うん、そう。忘れてたわ、自分の誕生日なんて。えー、うそ、たつぼん、覚えててくれたんや、シゲちゃん、感激してもうた」
「お前、喜び過ぎ」
「ほんま、嬉しい。そう言えばそやった。今日は俺の誕生日やった。わー、たつぼん、覚えててくれてたんやなー」
「いや、お前本当に喜び過ぎだって」
居心地悪そうに膝を揺らすたつぼんはさて置いて、本当に驚いて、そして嬉しいと思った。自分でも忘れていたその日を、イベント事なんてあまり興味がなさそうなそっけない恋人が忘れないでいてくれた。そんな事がこんなに嬉しいだなんて、今まで知らなかった。
「いつもみたいにお前がうちに来た時にプレゼント渡しても良かったんだけど。もし、万が一誰かに見つかったら恥ずかしいし。でもここだったら、日曜はみんな出払ってるって、前にお前が言ってたから」
なるほど、暑くなりそうな日にわざわざここに来たがったのは、そんなわけがあったのか。確かにこの寺は日曜はみんな出掛けている事が多い。他の誰かにプレゼントとかを見られる心配も少ない。
と、いう事でその有難いプレゼント。これを見なくては。残りの小さな菓子パンを急いで呑み込み、開けていい?と聞くと、勿論、という返事が返ってきた。お前にあげたんだから、と。
なんだかもったいなくて、ゆっくりと包装紙を剥がす。シンプルだけど綺麗に包装された箱。包装は簡単でいいです、なんて言うたつぼんの顔まで想像出来て可笑しくなった。
「お前、にこにこし過ぎて不気味」
「やって、嬉しいんやもん、…ってこれ」
ゆっくりと剥がされた包装紙から出て来た箱。それは家庭で作るかき氷の機械だった。
「かき氷器?自分で作るやつやん」
箱からその道具を取り出した。こういうの、確か昔うちにもあったっけ。
「今の季節に丁度ええな。これからうちに居ても、好きなだけかき氷食えるやん」
暑い季節に食べるかき氷は本当に美味いし、この手のものは自分は好きだ。でもたつぼんが選んだ物にしてはちょっと意外な感じがする。俺の趣味に合わせてくれたんだろうか、ひょっとして受け狙い?そんな事を考えていると。
「気に入った?」
「おお。実用的やん。どんどん活用させてもらうで」
そう言うと、良かった、と言う安堵の表情が広がって。
「お前、ちょっと前にかき氷食べたがってただろ」
「俺が?」
「忘れたのかよ。ほら、先週、学校から帰る時」
うーん、と記憶を巡らせれば、よみがえるいつもの二人。先週の一段と暑い日。部活で散々汗を流して疲れきった重い足取りで歩いた帰り道。そうだ、とにかく冷たい物が滅茶苦茶食べたいとたつぼん相手にこぼしたっけ。アイスでもソフトでもいい、でもかき氷をしばらく食っていないので、山盛りにして食いたい。今なら腹壊すまで食っても本望、とか言ってたつぼんに呆れられたような。
「そう言えば、言ったなぁ」
「こういうのがあれば、食べたい時にいつでも食べれるし、この部屋がすげー暑くなっても、食べたら結構涼しく感じるだろ」
「うん、うん」
「…そう思って、買った時はいいアイディアだと思ったんだけど、実際に渡す時になったら誕生日プレゼントに、こんなおもちゃみたいのでいいのかな、とここに来る途中思って」
「おもちゃやないやん」
「そうか?一応、色々と他にも考えてたんだけど、CDとかスポーツグッズとか。でもお前が欲しがってる物が一番かなとお前の様子色々みて…」
俺がかき氷かき氷騒いだから、これを選んでくれたのか。でも実際に買ってみたら誕生日プレゼントとしてどうなんだろうという思いがよぎって、さっきの歯切れの悪い行動になったわけだ。なんだか更に嬉しさがこみ上げる。
我ながら、自分の言動はその場の思い付きで言ってしまう事が多く、直ぐ忘れ易い。かき氷発言だって自分の記憶からすっかり抜けていた。そんないい加減な発言をたつぼんはしっかりとキャッチしてくれて、誕生日プレゼントを選ぶヒントにしてくれたのだ。自分で選ぶには丸で似合わなそうな品物を。これを愛と呼ばないで、他になんと呼ぼう。
「実はな、俺、これが欲しかったんや。誕生日にたつぼんがかき氷器買ってくれへんかなーって、ずっと思ってた。これって以心伝心ってやつ?」
俺がそう言うと、調子のいい事言って、と小さく笑顔が広がった。
「お前誕生日の事もかき氷の事も忘れてたじゃねぇか」
「そんな事ありません。さっきのは振りや、忘れた振り。その方がサプライズ!な感じが出るやろ」
そういう事にしてもいいけど、と可愛くない事を言う腕を掴んで立ち上がらせる。
「それより、ほら。作ろ、かき氷。せっかくこないにいい道具があるんやから」
他に誰も居ないからと、機械を持って二人で寺の広い台所へと急ぐ。
「氷、あるかな。前に氷入りのジュース出して貰った事あるから、大丈夫かと思ったんだけど」
「氷は大丈夫。たんとありまっせ。それよりシロップ。そんなのさすがに、ここにはないで」
「それも大丈夫、ちゃんと買ってきた。イチゴの」
スタンダードなイチゴのシロップ。なんだかとてもたつぼんらしい。
男所帯に似合う大型冷蔵庫から氷を頂く。
「こんなに沢山氷貰って、大丈夫かな」
「平気、平気。また直ぐ出来るって」
「この食器でいいかな」
「それやとちょっと小さいから。こっちにしよ」
許容量一杯に氷を入れた機械にふたをして、たつぼんがそれをこちらに寄越した。
「何?俺が回すの?」
「そ。お前にあげたんだから、シゲが氷削って」
「えー、俺のバースディなのに、俺が苦労するのって変やん」
「いやいや、苦労した後に食べる方が美味いだろ?」
にこやかに言われて、しゃーないな、俺の方が力持ちで男らしいからな、とハンドルに手を伸ばすと、やっぱり俺がやる、と細い腕が伸びてきた。ええの?と聞くと、俺の方が力があるからな、との返事。まったく扱い易いやつ、と浮かんだ笑いをかみ殺す。
力持ちの腕で高速でハンドル部分が回される。見る見るうちに細かくて真っ白な氷の欠片が落ちて積もって行く。
「お、出来とる、出来とる」
「なんか懐かしいな、こういうのって。昔こういうの作ってた」
「うちにもあったわ。この氷が出来るのがおもろかった」
途中で俺が代わろか、と声を掛けるも、いい、俺がやる、と結局意地を張ったたつぼんが二人分の小山を作った。疲れたやろ、と言うと、別に、それほどでもない、と予想通りの返事が返ってきた。よ、力持ち、とはやすと、綺麗な顔で軽く睨まれる。
部屋に戻ってスタンダードなイチゴシロップをたっぷりとかけて、デザートタイムの始まりだ。頂きます、と二人で声を合わせて言って、スプーンで一口救う。冷たさと甘さが口の中に広がった。
「うわ、めっちゃ冷た。でも美味い。かき氷、久し振りやし」
「俺も久し振りだ。しかも手作りなんてな。でも確かに美味いよな」
な、と言い合って、スプーンを次々と口元に運ぶ。小さな山が段々と平らになって行く。頭がキーンとする、と顔を顰めるのもお約束。部屋は暑苦しくて狭い。快適とは決して言い難い。それでも、たつぼんが居る限り、そこがどんな場所でもどこよりも居心地のいい空間になってしまうのだ。
「それでな、勝手に決めて悪いんだけど、今日がシゲの誕生日だって母さんに言ったらご馳走作ってくれるって。この後、うちに来るだろ?」
「お、真里子さんのご馳走?それは是非、頂きに参らないと」
真里子さんの料理の腕は、超一流なのだ。
「シゲ、舌見せて」
「舌?」
赤い?と舌を伸ばすと、赤い、とゲラゲラと笑う。
「たつぼんやって赤いやろ。見せて」
ほら、と伸ばされた舌はやっぱり赤い。二人で盛大に笑った。堅苦しく済ました態度を崩さない彼が、こんな風に子どもっぽい表情を見せる相手は俺だけだ。それもこれもやっぱり愛ゆえなんでしょう、
料理上手の真里子さんのご馳走を頂くのは悪くない。でも、たつぼんと二人だけで過ごすのはもっと悪くない。たつぼんの家に行くのはずっとぎりぎり、後にして貰いたい。今日くらいは、たつぼんも俺の望みを聞いてくれると思う。今日は俺の誕生日なのだから。
終(2010/07/08)