居場所


目の前に居る金髪が語るその話を聞きながら、自分の目が驚きに見開かれるのが分かった。その話の内容が信じられなかった。なのに、シゲは何でも無い事の様に淡々と言葉を続ける。いつもの人を食った様な薄い笑顔付きで。

ずっと気になっていた事だった。中学生のシゲが、どうして一人で寺に間借りをしているのか。どうして親と一緒に居ないのか。どうして遠い関西からこっちに来たのか。
そしてちらっと聞いた事がある。本当は自分たちより一つ年上なんだと。それが何故なのか気にはなっても、シゲの口から詳しい説明もない。こちらから聞いていい事なのかどうかも分からなくって。ずっと自分の胸に引っ掛かっていた事だった。


俺の部屋で、百合子が京都に旅行に行って来たと言う話をした時、シゲが感慨深げに目を細めた。

「おー、懐かしいな、京都。今頃は旅行には一番いい季節やで」
「お前も京都に行った事あるのか?」
「やって、俺、出身京都やもん」
「え?お前京都出身だったの?」
「そや。あれ、知らんかった?」

初めて知ったシゲの出身地。シゲの育った街。

長い事一緒に居たのに、こんなに近くに居たのに、シゲの事を何も知らない俺。その事がなんとなくショックだった。

「……知らねぇよ。だってお前、何も言ってくんねぇんだもん」

俺、前に言わんかったっけ?とシゲが首を傾げる。言ってない。何も聞かされてない。

「言ってねぇよ。今初めて聞いた」
「そやった?たつぼんには言った様な気ぃしたんやけど」

気のせいやった?とシゲが笑う。なぁ、聞いてもいいんだろうか、お前の事。お前の事なら、なんでも知りたいのに。俺が知らないお前の事。

「……じゃあ、なんで京都出身のお前がこっちに居るの?」

たった一人で。

言いたくなかったらいいんだけど、とおずおずと切り出した俺の言葉にシゲは、さて、どっから話そうかなー、とやけに勿体つけた前置きをしてから話し出した。聞かされた話は俺の想像を遥かに超える物で、今度はその内容にショックを受けた。シゲが正式に結婚している夫婦の間の子供じゃない事。二人っきりで暮らしていた母親が結婚する為に自分の居場所がなくなった事。認知すらしていなかった父親に、大人の勝手な都合で引き取られそうになった事。そしてそれが嫌でうちを飛び出して1年間ヒッチハイクをしていた事。

目の前の金髪は何でも無い事の様に淡々と言葉を続ける。まるで昨日見たTVの話でもするみたいに。

「……嘘」
「嘘ちゃうで。正真正銘、ホンマの事」

シゲが話し終えてほんの少しだけ沈黙が流れた。その後に自分の口から出て来た声は裏返っていてなんだか間抜けだった。そんな話は、それこそTVの中だけの話だと思っていた。愛人の子とか、家の跡取問題とか、家出とか。自分とは関係のない、どこか遠い世界での話だと思っていた。そんな有り得ない様な出来事を、本当に実際に経験しているのか?シゲ、お前が。

自分のうちも残念ながら、完全無欠な家庭とは言えなかった。両親が離婚する前は、二人の間に諍いが絶えなくって自分も胸を傷めていた。苦しかった。でも、母親に自分が愛されていないと思った事は一度もないし、今は確執がある父親とも自分が小さい時にはごく仲の良い親子だった。

自分の居場所がなくなるなんて考えた事、一度もなかった。

今、聞いた話が信じられなくて、ぽかんとしたままシゲを見つめていると、ふいにシゲが腕を自分の方に伸ばしてきた。何?と問う間もなく、髪を撫でられる。

「びっくりした?」
「え、ああ。びっくりしたけど…」

お前がそんなに重たい過去を持っていたなんて。今のお前から想像も出来ない。

「…そんなにショックやった?」
「え?」
「自分、泣きそうな顔してんで」
「そ、そんな顔してねぇし、そもそも泣いたりしねぇよ」

そお?とシゲが微笑む。泣きそうなんて、そんな顔をしているんだろうか。子供みたいでちょっと恥ずかしい。

シゲに髪を撫でられる。その感触が心地良い。いつもなら、子供扱いすんな、と手を振り払う所だけど今日はその心地良さに浸っていたかった。

「たつぼんは平気?」
「平気って何が?」
「うーんと、やから、俺って愛人の子やから。そんな生まれのヤツとはもう一緒に居たくないとか…」
「ば、かか、お前は!そんなのお前に関係ねぇだろ!生まれがどうとか、そんなの全然お前とは関係ないじゃないか!馬鹿な事言うなよな!」

馬鹿げたその言葉に思わず大きな声が出た。俺の余りにも勢い込んだ剣幕に、今度はシゲの目が大きく見開かれる。髪を撫でていた手も止まる。だってそんなの関係ない。お前はお前。どんな生まれでどんな育ち方をしてもお前なんだから。俺の好きなシゲなんだから。

「……たつぼん」

おおきに、とシゲが目を細めて笑う。本当に嬉しそうな笑顔。その笑顔に何となく胸が詰まった。

「…何がおおきに、だよ。そんなの、当たり前の事だろ」

にこにこと笑い掛けられるのが照れ臭くって、返した言葉は必要以上にぶっきらぼうだった。それでもシゲは笑顔を消さない。

俺の想像を超えていたシゲの半生。今の明るいお前からは思いも寄らない。ひょっとして、お前は投げられた事があるんだろうか。自分自身のせいではないその境遇の為に、心ない一言を。冷たい非難を。残酷な陰口を。それらの言葉を受けとめて、あるいは跳ね飛ばして。その上で今のお前の笑顔があるんなら。

お前はとても強いヤツだな、シゲ。

「お前がさ…」
「うん?」
「お前が、……いや、なんでもない」
「何、途中で止めるなや。気になるやん」

両手で頬を挟まれて、額をぐりぐりと押し付けられた。その軽い衝撃に笑いながら離せよ、と身を捩る。

「えっと、いや、…うん、お前がここに来てくれて良かったな、と思って」
「たつぼん」

俺の言葉にシゲの目が再度大きく見開く。次の瞬間に、嬉しい事言ってくれるやん、とふにゃりと表情を崩した。そのストレートな喜び方に思わず照れる。

「いや、その、サッカー部の為にな。お前が居ないと、困るから。色々とさ」

なんや、そっちかーい、と軽くヘッドロックをかまされる。大して苦しくもないその攻撃を、防御する様に腕を伸ばした。シゲ、お前が笑うから俺も笑いながら。

俺はお前の様に素直には言えないけど、本当はお前が居てくれるだけで嬉しい。サッカー部云々よりも、お前の存在自体が嬉しい。お前がこんな風に俺の側に居てくれる事が。それだけで、もう本当に泣きたくなる位に嬉しいんだ。

それがお前の悲しい生い立ちや切ない決断の上に成り立っているものだとしても。

なぁ、シゲ、お前は泣いた?回りとは違う境遇に気付いた時。大人の都合に振り回されそうになった時。そして一人で家を出た時。泣いた?

もし泣いたとしたらシゲはどこで泣いたんだろう。きっと一人で、誰にも見付からない様に、涙を流していた様な気がする。

小さなシゲが、たった一人で泣いている姿を思うと、胸が軋んだ。

シゲが笑う。色んな事を背負って。乗り越えて。消化して。誰にも負けない輝く様な笑顔を見せる。

お前は弱い所を人に見せない。何か辛い事があっても、自分の中だけで片付け様とする。例えお前に一番近くに居る筈の、俺であっても。

それが結構辛いって事、お前は知らないだろう?好きなやつの苦しみを見ているだけしか出来ないなんて。

シゲ、お前が泣きたい時には、俺の前で泣いて欲しい。お前がもう一人で泣かない様に。お前が一人で悲しまない様に。


俺がお前の涙を流せる居場所になれたらいい、と思う。世界でたった一つのその場所に。


終(2005/09/27)
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