ひまわり
別に珍しい事じゃない。あいつに向けられる笑顔。あいつが見せる笑顔。俺じゃない誰かに向って。
昼休みに通り掛ったシゲの教室。いつもの様に明るい金色が直ぐに目に入る。周りには何人かの女子生徒が居た。楽しそうに笑う彼女たちとシゲ。 一人の子がその金髪に触れていた。手にしていたのはブラシと黄色いゴム。
そんな光景を見てふと足が止まってしまった。途端にこちらに気付いたシゲと視線が合う。その顔はしまった、と言う色を表していた。
「あー、腹減った」
部活終了後の帰り道。隣の金髪が背中を丸めて、力ない声を洩らした。季節は夏が始まったばかり。夕方を過ぎてもさほど涼しくもない空気の中をシゲと並んで歩く。 西に向かっている太陽はまだまだ健在で、伸びている影もしっかりと色濃い。
腹減って死にそう、なんてぼやくシゲを他所に、心は今去って来たばかりのグラウンドへと飛んでいた。
「まだ全然明るいよな。もうちょっと練習してても良かったかも」
うわ、勘弁して、まじで死んでまうわ、と大袈裟に慌てるシゲに笑った。
通常の部活終了後、自主練の名の元にボールを蹴るのはいつもの事だ。その後にシゲが腹減ったとぼやくのもいつもの事だけど、それでもその自主練に最後まで残っているメンバーの一人なのだ。なんだかんだ言いながらも、シゲが練習に熱心なのは嬉しい。今日くらいは少し早めに切り上げようかなとも思っていたけど、結局はいつもと同じ様な時間になってしまった。
「まぁまぁ練習の事はもう忘れて。取り敢えず腹を膨らませに参りましょうや」
「お前そればっかり」
「やって、育ち盛りやし。腹が減ってると体に力入んないし。それになんたって、今日はたつぼん奢りのディナーやしな」
はよ行きたいやん、とにかっと笑うシゲに呆れ顔を返す。
「ディナーってなんだよ、嫌味かよ。これから行くのマックだぜ。それのどこがディナーだよ」
「嫌味ちゃうよー。マクドだろうが何だろうが、たつぼんの奢りっちゅうのがこれ重要。特別な人の特別な日にご馳走をする。立派なディナーやん」
「…誰が特別な人だ。自分で言うな」
からりと言ってのけるシゲの言葉に少しだけ顔に血が昇った。
今日はシゲの誕生日なのだ。
万年金欠のこいつに誕生日くらいは何か奢ってやろうかと思った。マックくらいなら奢ってやってもいいけど、と話を振ると、ええの?と思いの外喜んでくれるシゲが居てもう少し高級(?)なファミレスの名前でも挙げれば良かったかもとちょっと後悔する。嬉しがるシゲに、自分で提案しておきながら、
『本当にいいのか、マックで』
『ホンマにええよ、マクドで』と、気が抜けた会話をしたのが先週の事だ。
「予約入れとけば良かったかな」
「マックで二人で予約?ふざけんな」
目を覗き込んで笑顔を見せるシゲに笑顔を返す。いつも行き慣れてるいつもの店。それでもこんな日は確かにちょっと特別かもしれない。
「それにしてもあっついな」
言いながらシゲがシャツの襟元をぱたぱたと煽いだ。
夕方過ぎとは言え、日中の気温からさほど下がっては無さそうだ。まだまだ夏の初めだと言うのに、蒸した暑い空気がじっとりと体に纏わり付く。そうだな、と相槌を打つと、たつぼんもあっついん?と不思議そうに問われる。
「暑いに決まってるだろう。こんなにむしむししてるんだから」
「そ?たつぼんは全然暑がってる風に見えんわー。なーんかいっつも涼しげで」
「そんな筈ねぇだろ。俺だって暑い物は暑い。お前みたいにあっついあっつい言わないだけだ」
やってあっついんやもーん、とシゲが煽いでいる手の力を強めた。そんな事をしても大して風など起らないだろうと苦笑する。首筋をすっかりと被っている金髪を見て、髪でも縛れば大分違うんだろうに、と思った所で気付いた。
「そう言えばシゲ、お前休み時間に髪縛って貰ってたじゃねぇか。あれ、取ったのか」
放課後、部室に現れたシゲは髪を下ろしていた。部活中はいつものバンダナをしていてそのバンダナを解いた今は、髪はそのまま流れるにまかせている。昼休みに見た時は、綺麗に縛って貰っていた筈だけど、あれはどうしたんだろう。
俺の問い掛けに、しまった、と言う表情を浮かべた。昼に見たのと同じ物を。
「…あれ、見取った?」
「見取ったって、目が合ったじゃん、あの時。俺が居たの知ってただろ」
何言ってんだよ。呆れた声で言ってやると、あー、そやったな、と乾いた笑い付きで返事が来た。
「すっきり結ばれてたじゃねぇか。結んだらちょっとは違うんじゃないの?その暑苦しい髪」
「酷。暑苦しいとはなんやねん。せっかく綺麗に伸ばしている髪を」
こんなに綺麗な髪やのに、と髪の裾の方をさらりと梳くその仕草に笑ってしまった。
「…あれな、部活前に取った」
俺の笑いが引っ込んだ後で、シゲが小さく言った。
「なんで?部活の時にこそすりゃーいいじゃん」
不思議に思って尋ねると、シゲがこちらを見て視線を真っ直ぐに向けた。じっと見詰められてちょっと鼓動が跳ねる。
「たつぼん、平気なん?」
「平気って?何が?」
「俺が女の子に髪触られて。プレゼントに貰ったヘアゴムで髪縛ってたら」
なんか嫌やない?
やっぱりあれはプレゼントだったのか。今日が誕生日の、シゲへのプレゼント。そんな気はしていた。黄色いゴムの先に付いていた黄色い花。可愛いヘアゴム。あの花はひまわりだった。
「…髪の毛を縛るくらいなんて言う事ないだろう?って言うかお前楽しそうにやって貰ってたじゃん、あの時」
気さくで話し易いシゲは、その風貌も相俟って女子たちに人気がある。囲まれて親しげに話しているのも時折目にする。それにわざわざ言う事ではないけど、シゲのバッグがいつもより膨らんでいるのに気付いていた。多分、色んな子から誕生日プレゼントを貰ったんだろう。それは勿論愉快な事ではないけど、そんな事で一々目くじらを立てるのもどうかと思って、気にしない様にはしていた。
俺の返事にふーん、と気のない声を出したかと思うと、シゲが外した視線を下に落とす。俯きながら歩く形になる。そして、俺はヤやけどな、と呟く様に言った。
「何がヤなんだよ」
「たつぼんが誰かに髪触られるとかされてたらヤやわ。俺のたつぼんに触らんといて、って気分になる」
「シゲ」
不機嫌そうなその横顔を見て、一瞬息が詰まった。
俺だって本当は嫌だった。シゲが女の子に触れられているのを見た時、不快な思いが込み上げて来た。シゲに触るなと本当は言いたかった。
あの時だけじゃない。いつも、そう。シゲに向けられる笑顔を見る度に。俺じゃない誰かに向かってシゲが見せる笑顔を目にする度に。自分でも抑えられずに嫌な感情が沸き上がって来ていた。でも自分以外のやつに笑い掛けるななんて、そんな事言える筈もないし、望める筈もない。
そんな子供じみた独占欲を感じているのは自分だけだと思っていた。でもシゲも同じ気持ちでいてくれてるんだろうか。実際に触れられてもいないのに、俺がそんな事されたらヤだなんて、不貞腐れて言うシゲも自分と同じ感情を持っていてくれてるんだろうか。
「あん時はいきなり髪結んであげるね、言われて断るのもなんだったから、そのままにさせてたけど。けど縛って貰ったままの髪じゃ、たつぼんに悪いかな思て部活行く前に外したんやけど。…ふーん、たつぼんは俺が誰に何されても別に平気なんやなー」
「何されてもって、お前大袈裟な」
そうなんやなー、とシゲが拗ねた様な口調で言った。
悔しい事に今日からしばらく二つ違いになるシゲ。いつもは余裕があって、俺なんかより全然大人で、置いて行かれるんじゃないかと焦る事も多いけど。今隣りに居るシゲは、変な理由で膨れている小さな子供の様で。そんな一面を見せるシゲに、呆れるより前に安心してしまう自分が居て。なんだか嬉しくなってしまって。だってシゲをそんな風にしているのは、他ならない自分なのだから。
俯いてちょっと拗ねた様なシゲの表情を見ているうちに、自分の口元が緩むのが分かった。
「…俺が触られるのが嫌って、そんな事は絶対にないんじゃねぇ?」
「…あ?」
「だって考えてもみろよ。俺に髪縛ってあげる、なんて言ってくる女の子、いると思うか?いねぇだろ。だからお前がそんな事、考える必要なんてないじゃん」
こちらを見遣ったシゲが、確かにな、と小さく笑った。
「確かに、桜上水の王子様捕まえて、水野君、髪縛ってあげるーなんて言ってくる女の子、おらへんやろな」
「王子様、言うな」
ムキになって返した言葉に、可笑しそうにシゲがくすりと笑う。
どうやら自分も女子たちに人気はある様なのだ。でもシゲと違って声を掛け易い雰囲気ではないのは自分でも自覚しているので、気安く話し掛けられるなんて事は滅多にない。女子で普通に話す事があるのはせいぜい小島くらいで。
「それよりもさっきのお前。すげーでれでれしてた。女の子たちに囲まれて」
「でれでれなんてしてへんよ。別に普通にしてたやん」
「いや、でれでれしてた。…その顔見てたらちょっとムカついたし」
渋々、と言う風に認めると、シゲが明るい顔と声で言う。
「ムカついたって事はちょっとは気にしてくれてたって事?」
「…ちょっと位はな」
俺が言うちょっと位と言うのは、イコール完全にと言う事。それを分かっているシゲが更に表情を綻ばせた。
「安心したって。誰に囲まれようとも、ほら。シゲちゃんは、たつぼん一筋やから」
自信満々に言い切るシゲに照れながら、言ってろ、とそっけなく返す。でもシゲの目が嬉しそうに細められるのと一緒に、自分の顔にも笑顔が広がって行く。シゲは俺を喜ばせるのが、本当に上手い。
「ところでシゲ。あのヘアゴムってひまわり付いてなかったか?」
「付いとったで。目敏いな、たつぼんは。ムカつきながらもちゃんと見とったんかい」
「ムカつきながらは余計だ」
でもそんな事は当たり前。お前の事ならなんでも気になる。自然と目に入ってしまうのだ。
「なぁ、マックに行く前にちょっと寄り道していいか」
「別に構へんけど。何処?」
「うん、ちょっとな」
シゲへの誕生日プレゼントはバッグの中に入っている。最近シゲがハマリ始めたと言うロックバンドのベスト版のCD。それにもう一つ追加したいんだ。
シゲへのプレゼントを何にしようと探している時に、目に留まった物があった。花屋の前を通った時に見掛けたミニひまわり。シゲにぴったりの花だと思った。明るくて、鮮やかで、生き生きとしてて。
一瞬これをプレゼントにどうだろうと思ったけど、でも男が男に花を贈るというのもどうかと思って止めた物。
やっぱりお前に贈りたいと思う。一輪だけだけど。
あのヘアゴムに付いてた物よりもずっと大きいひまわり。あれを贈った子が、シゲに対してどんな感情があるのかは分からない。単なる友人以上の物はないかも知れない。でもひょっとしたら、多少なりともシゲを想う気持ちもあるのかもしれない。あの子がどんな気持ちを持っていたとしても、俺の気持ちの方がずっと大きいから。誰よりもずっと大きいから。
そんな想いを込めて、お前に贈ってやる。お前に似合う花を。
今日は暑い一日だった。西に向っている太陽は、その勢いを未だ失ってはいない。お前が生まれた日も、こんなに暑い日だったのかな。
暑い季節に生まれたシゲ。お前の誕生日に一緒に過ごせる事が何よりも嬉しい。
終(2006/07/08)