飛行機雲
ランニングの後の軽いストレッチ。上がった心拍数を落ち付かせるべくゆっくりと息を吐く。ふと空を見上げると、頭上に広がる抜ける様な青。
その中に。
「あ」
目に入った物を見て、思わず声が出た。隣りに居た藤代が、水野、どうかした?と聞いてくる。その声に、何でもない、と慌てて手を振った。意味もなく笑いながら。だって言えない。いきなり、京都に居る金髪を思い出したなんて。
再びそっと空を仰ぎ見る。青い空に転々と浮かんでいる白い雲。そこに伸びている一本の白い線。飛行機雲。
シゲが好きだと言っていた。
いつかの昼休み。すっかり行き慣れた桜上水中の埃っぽい屋上。いつもの様にそこでシゲと過ごした。その日も重い屋上の扉を開けると、俺たちを迎えてくれたのはどこまでも青い空だった。
『お、飛行機雲』
シゲの見ている方に視線を向けると、長く伸びている白い線が見えた。
ほんとだ、と言いながら、空の眩しさに目を細めた。二人で黙って空を見た。綺麗な青と白のコントラスト。シゲの方に視線を移すと、やはり眩しいのか目を細めていた。一点を見詰める横顔。風に金髪が靡く。少しだけ見惚れた。
『…何、お前、やけに熱心に見てるじゃん』
俺の言葉にシゲが、うーんと呑気そうな声で答えた。空を見上げたままで。
『あー、俺な、飛行機雲見るの、結構好きやねん』
『そうなのか?』
『こう真っ直ぐにぴーっと伸びてて気持ちいいやん。綺麗やしつい見てまうねん』
『…ふーん』
『何にやにやしとんの、たつぼんは』
こちらを見てシゲが訝しげに問う。知らずに笑っていたらしい。
『…いや、お前にしちゃやけに健康的な物が好きなんだなぁと思ってさ。飛行機雲が好きだなんて、お前のイメージに合わない』
『何や、それ。こんな健康的なシゲちゃんに向かって失礼な』
『お前のどこが健康的なんだよ。そんな胡散臭い姿形して、何言ってんだ』
たつぼん、ひどい、と大袈裟に嘆くシゲに、本当の事じゃねぇか、と笑ってやった。
そして、笑いながら思った。シゲに飛行機雲なんて、イメージに合わない。でも風に靡く金髪。青に金色は、結構合う。
茶化したけどその日、自分の中の引き出しに一つファイルが増えた。シゲの好きな物。
会話をしながら、一緒に行動しながら。シゲの好きな物、好きな色、好きな音楽、好きな場所。少しずつ知って行くシゲの好きな事。自然に増えて行く自分の中の『シゲ』ファイル。
その大体が自分の好みや趣味とは違っていたけど、それらを知るのは楽しかった。シゲが好きな物かと思ったら興味が湧いた。
どこかの店先で、街中を歩いていて。シゲが好きだと言ってた物を見掛けると、真っ先にシゲを思い浮かべてしまうのだ。今みたいに。
こんなに簡単にあいつの事を連想してしまうのは、いつもシゲの事を考えているみたいで何となく癪だ。でも思い浮かんでしまうのは、止めようもない。八つ当り、とばかりに、近くにいるチームメートたちに気付かれない様に、空に向って小さく小さく呟いた。
「…バカシゲ。こっちは天気いいぞ。お前の所はどうだ?」
今も少しずつ伸びている白い線を目で追う。バックには鮮やかな青。空の眩しさに目を細めた。シゲが今居る所も青い空が広がっているだろうか。そうだといいと思う。
シゲ。お前の好きな飛行機雲が、今俺の上にあるよ。
お前にも見せたい。
お前と一緒に見たい。
お前が隣りに居ればいいのに。
今日、夜に電話をした時に、『昼間にお前の好きな物を見た』と言ってやろう。でも、『それを見て、お前が隣りに居ればいいのにと思った』なんて事を言ってやるかどうかは。
その時の気分次第。
終(2006/11/23)