グッドボーイ、グッドディ


「今日、俺一日、ええ子やったやろ」

部活が終わって。帰り支度を終えた部員たちが一人、また一人と部室を去っていくのを見送って。いつものように部誌を書く俺と、それを待つシゲだけが残る部室で。部誌のスペースを大体埋めて、今日の記入はこんなものでいいかとシャーペンをペンケースに入れた時、向い側に座っているシゲが笑顔で言った。

「…なんだよ、ええ子って」
「朝練、きちんと出たし。忘れ物借りにたつぼんの教室に行かなかったし。放課後の部活はごっつ真面目にやって、部長からお小言を貰わなかったし」

な、めっちゃええ子やったやろ、と笑顔の金髪を傾げたりして。

確かに、今日シゲは珍しく朝練に出ていた。最近のシゲは朝練をサボり勝ちだ。1年生に示しがつかないから、ちゃんと出ろよと毎日のように言っている。その度に、朝のお勤めが抜けられないんや、堪忍、なんて言ってるけど、その朝のお勤めもサボっているのは、寺の同居人たちから聞いてウラは取ってある。どうせ寒くて朝は布団から出られないんだろう。

忘れ物が多いシゲは、俺のクラスにしょっちゅう何かを借りに来る。午前中の授業毎に教科書を借りに来た事もあり、こいつのバッグの中には何が入っているんだろうといつも疑問に思っている。少なくともその日の時間割の教科書がちゃんと入っている事はなさそうだ。そのシゲが、今日は一度も俺に物を借りに来なかった。

今日の部活中のシゲは、よく声が出ていたし体も動いていた。いつもなら休憩時間じゃないのに勝手にどこかで休んでいたり、サン太にプロレス技を仕掛けたりして、その度に俺に小言を食らっているが、今日はそんな事はなかった、と気付く。ちなみに小言を言う俺はシゲに言わせると、『たつぼんったら小姑みたい』、だそうだが、誰がそんな風にさせてると思って いるんだ、と脱力してため息の一つも吐いてしまうのもいつもの事だ。

そんな事を思いながら見るお向かいに居る自称ええ子は笑顔のままで。確かに普段のこいつの行動からすると今日は格別にまともだったので、あぁ、まぁ、そうだったな、とつい言ってしまった。いや、でもちょっと待て。

「な、そうやろ。今日一日めっちゃシゲちゃん、頑張ったし」
「頑張ってたのか?」
「そらもう、一生懸命」

いやいや、ちょっと待て。朝練に出る。忘れ物を借りに来ない。部活は練習に集中する。どれもこれも当たり前の事で、これらをやっても別に『ええ子』でもなんでもなく『普通の子』だと思うんだけど。ただシゲは普段がその当たり前の事が出来ていないので、普通の事をしてもなんだか物凄く真面目になったような気がしてしまう。ええ子のハードルが随分と低いのだ。

「で、なんで今日はいきなりええ子だったんだよ。今までの行いを悔い改めて、心を入れ替えたのか?」
「いや、今日一日。期間限定」
「…随分短いんだな」

力一杯言われて思わず脱力する。今までの自分を反省して、これからは真面目になろう、という訳ではないのか。尤も、シゲがそんな事を考えるとも思えないけど。

「じゃあ、なんで今日だけええ子になったんだよ」
「やって、今日ってたつぼんの誕生日やん。今日くらいええ気分で過ごして欲しい思ったから」
「え…」
「いっつも、小姑みたいに小言言うやん。ここに皺寄ってるし。やから今日くらいはそういうの無しにしてもらお、思ってな」

ここ、と眉間に指先を当てて。だから、小姑にさせてるのは誰だと思ってるんだ。眉間の皺が定着したら、どうしてくれる。お前のせいだ。

そんな文句を言うと、金髪は目を細めて笑った。その笑顔につられて、自分も思わず笑顔になる。そして。

「…お前、覚えててくれたんだ」
「当然」

シゲが、そんなの当たり前やろ、と笑う。嬉しくて少しだけ胸が切なくなった。そう、今日は俺の誕生日。

もう小さな子どもじゃないし、プレゼントが楽しみとかご馳走が嬉しいとかそんなのはないけれど、誕生日はやっぱり特別な日だと思う。自分がこの日に生まれて一つ大人になって今まで生きてきた年月を思い出して。普段とは違う特別な日だ。

家族からのおめでとうは勿論嬉しい。心から喜んでくれてるのが分かるから。でも今の俺に取って、一番その言葉を言って欲しい相手は他に居た。そいつの口からおめでとう、と言って欲しいと思っていた。でも今日一日何度か顔を会わせながらそいつからその言葉は出なかった。だから俺の誕生日を覚えてないんだろうと思っていた。

心の中に浮かぶ何とも言えない感情。でも、中学生にもなって誕生日なんて大した事じゃないし、そいつは誕生日がどうこうとかいう柄じゃないし、と自分を納得させて。今日は母さんと祖母ちゃんがご馳走を作ると張り切っていた。きっと凄い量の料理を作るだろうから、誰かを呼んでも構わないだろう。そいつを呼びたいと思った。でも、誘ってもいいのだろうか。自分の誕生日を覚えていなかった恋人を。

そんな風に思っていたのに。

「まさかたつぼんの誕生日を、俺が忘れる筈ないやん」
「だって、お前なんにも言わないから」
「お楽しみは最後に取っておかな。たつぼん、俺がたつぼんの誕生日忘れてると思ってた?」
「まぁな」
「忘れられた思て、淋しかった?」

からかう様なにやにや顔で。見詰められて、一瞬言葉が詰まる。

そうだよ、淋しかったよ。お前から何も言われなくて、淋しかったよ。なぜ俺の誕生日を知っているのか分からないけど、話した事もない女子たちからおめでとうを言われ、プレゼントを貰い、戸惑うだけでさほど嬉しいとも思わないのに、一番言って欲しい相手からはその言葉を貰えず。自分の特別の日を覚えて貰えなかったのかと思ったら、凄く淋しかったよ。

大した事じゃない。もう中学生なんだし、誕生日を忘れられるなんて、それ程の事じゃない。自分でそう思い込もうとしてたけど、実は結構大した事みたいだった。心の中に浮かんだ何とも言えない感情。それは淋しさだった。こんな風に思うなんて、俺は自分で思ってた程大人でもクールでもなかったみたいだ。それとも、それは相手がシゲだからなんだろうか?

だけど、そんな風に思った所で素直に言えないのが俺で。淋しかった?の問いに淋しかったなんて格好悪い事が勿論言える筈がない。

「別に。そんなに大した事じゃないし」と素っ気無く答えて部誌をいつもの棚に戻すと、さよか、と金髪が可笑しそうに答えた。多分、俺の考えてる事なんかお見通しなのだ。ムカつく奴。

当たり前の事をして『ええ子』になってるつもりなら、勿体つけないでさっさとおめでとうの一つも言えばいいのに。そんな俺の不満は、やっぱり、お祝いの言葉は二人っきりの時に言いたいやん、のシゲ言葉に掻き消されてしまった。俺の心が読めるんだろうか。本当にムカつく奴だ。

「でな、今日はたつぼんちでは真里子さんらがお待ちかねやと思うんやけど、ちょーっとだけ寄り道してもええ?何か奢らせて」
「いいのか?いっつも金ない、金ないって騒いでるやつが」
「こんな日くらいはそんな事言いっこなし。たつぼんの誕生日なんやから、どーんと何でも奢ったるわ」

なんだか大きな事を言ってるけど、多分コンビニに行っての買い食いだろう。それとも、ちょっと足を伸ばしてファストフードのセットメニューだろうか。それとも。それとも。

それでも何でもいい。シゲが俺の為に祝ってくれるというのだから。それだけで十分だ。それだけで嬉しい。今日はなるべく早く帰って来てね、と出掛けに母さんに言われたけど、ちょっと遅くなりそうだ。母さん、ごめんなさい。

さぁ、帰ろうかとシゲが椅子から立ち上がった時、さっきまで読んでいた雑誌をテーブルの上に無造作に置いた。

「シゲ、その雑誌棚に戻しとけよ。ついでに、その辺の本とか綺麗に並べといて」

部室には、誰が持ち込んだか分からない雑誌や本が何冊もある。一応、それらを並べておく棚はあるのだが、小島が見かねて偶に整頓する位で乱雑になっている方が多い。 そして、そこを乱すのは大抵シゲだ。

「えー、めんどい。ええやん、また誰かが見てその辺に出しとくんやから」

だから、その誰かは大抵お前なんだってば。

「シゲ、お前は今日、『ええ子』なんだろう。『ええ子』だったら、それくらい普通にやるよな」

そう言うと、一瞬言葉を詰まらせて、渋々といった感じで片付けを始めた。ええ子なんて面倒臭い、今日だけやからな、なんてぶつぶつ呟いているのが聞こえる。

「何か言ってる?」
「別にー。俺はええ子やから、文句も言わずやってますよー」

こんなに一生懸命に、なんてシゲのわざとらしい笑顔と口調に笑ってしまった。今日一日はええ子なんだから、普段やらない事でもしておけ。

さぁ、一日限定の、俺の為に頑張ったええ子に俺の誕生日を祝って貰おう。でも、シゲがシゲである限り、お前がええ子でも普通の子でも構わない。お前から、おめでとうを言われるだけで、それだけで今日は特別なとびきりいい日になる。

1年生に示しとつかないから朝練に出ろというのは本当。でもお前と過ごす時間は長い程いいから、朝練に出る『ええ子』は持続してくれないかな。それと忘れ物を借りに来る件について。また忘れたのか、と小言を言いながらも、お前が俺のクラスに来るのは歓迎している自分が居る。だから、そこの所はこれからもずっと『ええ子』にならなくても、いい。

終(2012/11/30)
シゲタツ文へ戻ります