甘やかし日和
初夏からすっかり夏へと移行したある日の放課後。
部活が終わった後も、西に姿を残して沈み切っていない太陽のせいで、辺りは未だほんのりと明るい。のんびりと歩きながらの学校帰り、隣りを歩く金髪男の部屋へ向う途中で、頬に水滴が当るのを感じた。
シゲと二人で空を見上げると、次々と雨の粒が落ちて来るのが見えた。
「うわ、雨か」
「いきなり来たなー。今日って雨降るんやった?」
「予報では言ってなかったけど」
予報で言っても言わなくても落ちて来る雨粒は現実の物で。しかもそのにわか雨の勢いは激しく、あっと言う間に道路や辺りを濡らして行く。勿論傘を持たない俺たちをも。
「わ、これは酷いな」
「走ろ、たつぼん」
寺までは未だかなりの距離を残している。二人でダッシュして、雨の中通い慣れた道を急いだ。
足には多少自信があるサッカー少年が二人。その二人の全力疾走にも関わらず、屋根の下に辿り付いた時には、二人とも盛大に濡れていた。髪から滴り落ちる水滴が気持ち悪い。
「ひゃー、びしょ濡れ。酷かったな、今の雨」
「まぁ、通り雨だろうけど。いきなりだったな」
シゲの部屋に入ると、ほら、これ使い、とシゲがタンスから出してくれたスポーツタオルを、サンキュ、と受け取った。頭に回して濡れた髪をごしごしと拭く。シャツもかなり濡れてしまったので、Tシャツでも貸して貰おうかと思いながらシゲの方を見ると。
「シゲちゃん、水も滴るいい男になってもうた」
水気を含んでいつもより濃い色になっている金髪をぷるぷると振っているのが見えた。いい男と言うより、濡れた時にホームズがそんな事をやってるぞ、とこっそり笑った。
自分の分のタオルを出したシゲが、まったくもー、とぶつぶつ文句を言いながら自分の髪を拭く。力任せにガシガシと乱暴に。お前、それは髪に優しくない拭き方だろう。それでなくても、普段から髪に優しくない色にしてるんだから。
そう言おうとして口を開きかけた瞬間、ある考えが湧いた。タオルを首に掛けて、シゲの直ぐ目の前に行く。
「ちょっとそれ、貸せ」
「それ?」
「タオル。ちょっと貸せ」
なんで?と聞かれたのには答えずに、自分の手をシゲのタオルの所に持って行く。と、間近にシゲの顔があって、目と目が合って照れ臭い。
「やり難いから、お前、ちょっと下向いとけ」
何かを言いたそうにしながら、俺の言葉に従って素直にシゲは顔を下に向けた。癪だけど自分より少しだけ、ほんの少しだけ身長があるそいつの頭が、目線よりも下に来た。そのまま、頭に乗っていたタオルで髪を拭いてやる。さっきシゲが力任せにやっていたよりは、遥かに優しい力加減で。
の、つもりで。
「何、何、たつぼん。俺の髪、拭いてくれんの?」
「くれんのって、今、やってるだろ。お前の拭き方、乱暴過ぎ。あんなにガシガシやって、将来ハゲても知らねぇぞ」
「ガーン、それは激しく嫌やわー」
「下らねぇ…」
下らないオヤジギャグに小さく笑いながら、小刻みに手を動かす。湿った雨の匂い。シゲの髪の匂い。なんだか凄く、落ち着く匂いの中で。
「拭き加減は如何ですか?」
「拭き加減ってなんやねん。ならもうちょっと左側お願いします。…あ、その辺で。あ、ええです。ええ感じです。お痒い所もありません」
「シャンプーかよ」
大人しく下を向いてされるままになっているシゲが可笑しそうに言う。俺も笑いながら、ほら、こんなもんだろ、とタオルをシゲの首に掛けた。
「頭、上げていいぞ」
好き勝手に、あっちこっちに飛び跳ねている濃い金色の髪を指で梳く。湿った堅い髪が指の間を流れて行く。自分のとは全く違う感触の。
「男前になった?」
「別にいつもと同じ」
「いつもと変らず男前、と」
「言ってろ」
呆れた様に言ってやると、シゲが楽しそうな笑顔を見せた。俺の好きな笑い方で。
「今日はたつぼん、サービスええやん。こんなんして貰うの、初めてやし」
「ま、偶にはな」
いつもこうなら、シゲちゃんめっちゃ嬉しいんやけどなー、の言葉はスルーして。
サービスしてやるのは、今日だから。
今日くらいは、サービスしてやってもいい。
甘やかして、やってもいい。
「前にさ、お前言ってたろ」
「前?」
「ほら、この前。うちに来た時、ホームズに…」
少し前の休日。家に居て、ホームズにシャンプーをしていたら、こいつがふらりと遊びに来た。庭でブラッシングをしてやってるのを、芝生に座ってシゲがぼんやりと見ていた。ホームズはブラッシングされるのが好きで、大人しく腹這いになってはいつも気持ち良さそうに目を閉じる。時々、尻尾を小さくパタパタと振って。その様子が可愛くて、肌触りのいい毛を撫でてはブラシを何度も往復させた。
『…ええなぁ、ホームズは』
しばらく放っておいて相手をしてやらなかったシゲから、そんな言葉が聞こえた。
『何がいいんだよ』
自分の名前が言われたのに反応したのか、ホームズが少しだけ頭を上げた。その頭を撫でる。
『やって、たつぼんにそないに優しくされて。優しい顔向けられて。俺なんてそないにされた事、一度もあらへんのに』
ホームズばっかり、ずるい、と口を尖らされて、呆れてシゲを見る。何言ってんだ、お前は、と素っ気無く返してやりながらも、これはホームズに対してのヤキモチなのか?と驚きとくすぐったい嬉しさが込み上げたのも事実だった。
『ホームズに優しくするのは当たり前だろう。ペットと言うか、既に家族の一員なんだから』
『俺なんか恋人やん』
たつぼんとの親密度では負けとらへんやろ、とやけに偉そうに。
『お前よりもホームズの方が、優しくしたくなるんだよ』
なんやの、それ。差別や、差別、と金髪が息巻く。
『だってホームズはこんなに可愛いし』
な、と言いながら、目を覗き込むと、意味が分かったのかどうなのか愛犬は、わん、と一鳴きした。
『シゲちゃんだって、こんなに可愛いやん』
『お前のどこに可愛さがあるんだよ…』
可愛いと言う言葉の意味が分かってるだろうか、この男は。お前のどこを探したら、可愛さの欠片でも見付かると言うんだ。
『賢いし』
『シゲちゃんやって賢いやろ』
『他の所でそれ言うなよ、お前…』
失礼な事言うぼんやなー、の声を受けてブラッシングを再開する。再びホームズが気持ち良さそうに目を閉じた。綺麗に流れている毛並みを見ながら、ゆっくりとブラシを運んだ。
『…それに、ホームズは俺に…、俺の、俺の事好きだし』
『俺だって、たつぼんの事、めっちゃ好きやねん』
途中で言葉を変えた。最初は、ホームズは俺に懐いてるし、と言おうとしたけど、シゲが俺の言葉を反復すると思ったので、俺の事を好きと言わせたかったのだ。
自分も滅多に言う事もないけど、シゲだってそれ程使う事もない『好き』と言う言葉。それを言わせてみたかった。シゲの口から聞きたかった。
けど、実際に言われてみると慣れない分、相当恥かしく一気に顔に熱が集まってしまったのは、我ながら情けない。
やから俺にも優しくしたって、の声に、はいはい、そのうちな、と適当に言ってブラッシングに集中した振りをしたのは、赤くなった顔を見られたくなかったからだ。
「あー、そないな事言ってたな」
「お前、あの時、ガキみたいだった。口尖らせて」
「やって、たつぼん、ホームズばっかりで俺に構ってくれへんから」
あの時の再現とばかりに、拗ねた口調でシゲが口を尖らせるから、笑って軽く頭を叩いてやった。正直言うと、触り心地はホームズの方が遥かにいい。
「これで少しは満足したか?と言うか、しただろ?」
「たつぼん、微妙に偉そー。…いや、しました。めっちゃ嬉しかったです」
本当はシゲが喜ぶなら、なんでもしてやりたいと言う気持ちはある。でも、素直じゃないのを自他共に認めている俺。シゲが言う通り、中々お前に優しくしてやれない。
だけど、今日なら。今日みたいな特別な日なら、素直じゃない俺でも沢山お前に優しくしてやりたいと思うよ。
そんな俺の気持ちを見透かしたのか。
「な、たつぼん」
「何?」
「ついでに髪も梳かしてくれへん?ほら、あれで」
あれ、とシゲが指差した方を見るとタンスの上に置いてあるブラシがあった。
「ついでやから、きちんとセットしたって。たつぼんも俺の男前度が上がった方が嬉しいやろ」
「ついでってなぁ…」
お前の髪がぐちゃぐちゃでも、ちゃんと梳かしてあってもいつも男前だ。俺が好きになったヤツなんだから。そんな事は勿論言ってやらずに、代わりにしょうがねーなー、今日だけだからな、と溜め息を吐いてやった。でも口元が笑っているのを自覚しているので、俺が全然嫌がってない事はシゲにもばればれだ。
「その前にシゲ」
「何や?」
「Tシャツ貸せ」
季節はもう夏。濡れたシャツを着ていても寒くはないけど、肌に張り付くのは気持ち悪い。着換えてさっぱりとした所で、お前を男前にセットしてやるよ。
あんまり変りないだろうけどな。
季節はもう夏。シゲに夏はよく似合う。この暑い季節にシゲは生まれた。
今日は特別な日。プレゼントを上げるのは、お前を甘やかしたその後でいいか?
誕生日、おめでとう、シゲ。
終(2007/07/08)