11:45PM


夜更けに草晴寺の黒電話のベルが鳴る。

寺の和尚は年寄りだけあって、朝起きるのも夜寝るのも早い。一度寝入ってしまったら、電話の音くらいでは目は覚めないらしい。3度、4度とベルは鳴り続けるけど、他の住人たちも部屋を出る様子はない。それぞれ部屋に篭って音楽でも聞いていたら、階下の電話の音など聞こえない事もあるようだ。

自分の部屋は電話から一番近いし、雑誌を読んでて何の音も出していなかったので、鳴り続けるベル音をしっかり捕らえている。本当ならこんな時間に自分に掛かってくる電話などない。いつだったか、やはり夜遅くに電話の音が聞こえて、誰も出ないようだったので寒い中受話器に向かったら、無言のいたずら電話でとても腹が立った事があった。

この電話にも気が付かなかった事にしてもいいのだけれど、なんとなく予感がした。廊下に出て薄暗い階段を下りて、受話器を取る。

「はい、草晴寺」
『あ、夜遅くすみません、水野と言いますが…』
「たつぼん?」

いつも一緒に居るお馴染みの声が聞こえ、名前を呼んでやると、あ、シゲか、とほっとした返事が来た。予感的中。

『良かった、お前が出てくれて。こんな時間だから他の人が出たらどうしようと思ってた』
「和尚はとっくに寝てて、多分気付いてせぇへんし、他の連中は起きてるみたいやけど、やっぱり気付かなかったみたいやで。誰も反応してなかったし」

そっか、良かった、と再び安堵した声で。少し前に、お前のとこに夜遅くに電話したら拙いかな、和尚に怒られるかな、なんて事を聞かれた。遅い時間だと和尚は寝てるし却って大丈夫、と軽く返した後、直ぐ違う方向に話が流れたので、その時は特に気にもしなかった。臨時の連絡でもある時の為の確認か、くらいに思っていた。でもさっき、その時の事をふと思い出して、この電話はたつぼんかも、と直感的に思ったのだ。これは愛ゆえかな、やっぱり。

『お前は?寝てなかったか?まだ』
「このくらいの時間なら、いつもバリバリ起きてるで。たつぼんこそ、まだ起きとったんやね」

練習大好きのサッカー部キャプテンは、早朝のランニングが毎日の日課になっている。ゆえに夜は和尚や小学生と張り合うくらい、健康的に早いはずだ。

『いや、まぁ、偶には。シゲは今、話しても大丈夫?』
「全然大丈夫やけど。で、今日はどした?こんな時間に。何か緊急の連絡?」

たつぼんが寺に電話をしてくる自体、滅多にない事だ。そもそも毎日会っているし、会った時に話せばほとんどの用事の伝言は事足りる。それがいきなりの夜更けの電話だ。何か緊急事態でも?と思ってしまうのは当然の事。その割に口調は全く切羽詰っていないから、深刻な話ではなさそうだけど。

『いや、緊急の連絡とかじゃないんだけど…』
「じゃ、緊急じゃない連絡?」
『いや、…と、いうか今日も暑かったな』
「?そうやな」
『雨も降らないで、良かったな』
「そりゃ、雨は降るより降らない方がええけど」
『だって今日は七夕じゃん』
「あぁ、そやな。今日は7月7日やし」

相槌を打ちながら、頭の中にハテナマークが飛び捲くる。夜の11時過ぎに、わざわざたつぼんがお天気の話をしに電話を掛けてくる。そんな事があるのだろうか。

『明日も予報じゃ晴れだって。暑くなりそうだぜ』
「さよか、暑過ぎもしんどいけどな」
『まぁ、夏だから暑いのはしょうがないけどな』

そやなぁ、しょうがないなぁ、なんて返しながら、相変わらずハテナマークは乱舞している。一体なんなんだろう。

「たつぼん、なんか用事あって電話して来たんちゃうの?」
『いや、用事っていうか…。今、電話で喋ってたら、迷惑か?』
「迷惑なんて事、全然あらへんけど」

迷惑な筈はない。たつぼんからの電話なんて滅多にないし、その偶の電話は部活の連絡事項で、用件を伝え終えたらいつもさっさと切ってしまう。電話はあまり得意ではない、と前に言ってた事があったっけ。そのたつぼんからの珍しい電話。迷惑なんて事は全然ない。ないけれど。

「ただ、どうしたのかな、思て。初めてやろ、たつぼんからのこんな電話」
「そうかな、そうかもな」

男同士というイレギュラーな組み合わせではあるけれど、一応付き合ってるという間柄の俺たち。普通の恋人たちなら、ただ声が聞きたかったというだけで電話をし合う事もあるだろう。でも、俺もたつぼんもそんなキャラではない。声を聞きたいだけのために電話をするなんて、そんな可愛い性格はお互いにしていない。

でもひょっとして、そうなんだろうか。その可愛くない性格の彼が、珍しく可愛い事をして来たんだろうか。俺の声を聞きたかった、それだけの為に珍しい行動を起こしたのだろうか。

そう思うと、自然頬の筋肉が緩んでしまうのを感じた。

だけど、待てよ、とふと思う。その反対の事もあり得るのではないだろうか。初めての夜の電話。何か言いたそうなたつぼんの声。ひょっとして、と思うと、一瞬にして血の気が引いた。

「…たつぼん、ひょっとして…」
『何?』
「ひょっとして、な」
『だから、何だよ』
「俺と、別れたい、とか?」

声が聞きたかっただけ、とか甘い話ではなく、その反対の場合も考えられるのだ。もう俺とは別れたい。でも顔を見ては言い出しにくい。電話でなら顔を見ずに話せる。そう思って、たつぼんがこの珍しい行動を取ったのだとしたら---。

おずおずと告げると、短い沈黙の後、受話器の向こうから盛大に噴き出す声が聞こえた。それに続いて笑う声が。

『お前、何情けない声出してんだよ』
「やって、たつぼん、何か言いたそうやし、夜中に電話なんか今まで掛けて来た事ないし。何事かと、シゲちゃんびびってまうやん」
『それはそうなんだけどさ。でも、さっきのお前の声、情けなさ過ぎ』

笑いの波は長引いているようで、可笑しそうに笑う声が続いている。こっちの不安な気持ちも知らんで、と多少むかつきながらも、この様子ではどうやら別れ話ではなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろす。

『そんなんじゃねぇよ。第一、俺は別れたい時は電話なんかで言わないで、直接言う。顔を見ないでそんな重大な話出来る筈、ねぇじゃん』

顔を見ながらの別れ話なんて、そんな不吉な事はいつまでも来て欲しくないけど、取り合えず今日の所は安心していいらしい。

「じゃあ、何?ただ俺の声が聞きたかったとか、そういうの?」
『いや、まぁ、その、なんだ。うん、まぁ、そんな感じ、かな』

歯切れの悪い事甚だしいけど、素直になれない彼の事だ。すんなりと肯定する事も出来ないんだろう。最悪の話を聞かされるわけではないと分かったので、内心の安堵を気付かれないように余裕のある口調で返す。

「またまたぁ、素直じゃないんやから、たつぼんは。まぁ、ええで。こんな俺の声で良かったら、なんぼでも聞き。シゲちゃんの魅惑のクールボイスを」
『なーにがクールボイスだよ。キンキン声のくせして』
「あら、失礼な。…これでも、キンキン声?」

わざとらしく声を1オクターブ程低くして言うと、受話器の向こうから噴出す声が聞こえた。

『まぁ、クールボイスは置いといて。もうちょっと付き合って貰ってもいいか?』
「全然オッケーやで。たつぼんがおねむになるまで付き合ったる」
『おねむって、俺は赤ん坊かよ』
「やって、いつもならもう寝てる時間ちゃうの?」
『まだだ。そろそろ寝ようかな、っていう辺り』

本当はもうとっくに布団に入ってる筈なのに。ムキになって返すのが可笑しくて、気付かれないように小さく笑った。

たつぼんの気が済むまで、この電話に付き合ってやろう、とその辺りに座り込む。受話器を持ち直す。いつも聞き慣れてるその声も、受話器越しだと結構新鮮だ。顔は見えないけど、多分こんな表情をしてるんだろうな、というのが手に取るように分かる。学校では落ち着いた優等生で通っているけど、俺の前では人一倍表情豊かなのがたつぼんなのだ。

『昨日の練習試合の失点は…』
「たつぼん、この前挫いた所、どうなった?」
『子どもの時、短冊に何て書いた?』
「ホームズ元気?」

話題は何となく頭に浮かんだ事を転々と。時折、ぎこちない短い沈黙を交えながら言葉を紡ぐ。毎日会って、毎日話しているのに、なんで話す事が尽きないんだろう。いつまでも、このまま話していたい気がする。世の中の女の子たちが、長電話が好きなのが分かった気がする。

『…あ、日付変わった』

しばらく取り留めのない話をした後。たつぼんのその言葉に、首を伸ばして壁に掛かっている時計を覗き込んだ。確かに、針は12の位置でぴったりと合わさっている。

「ほんまや、12時になっとるな」
『うん、シゲ』
「うん?」
『7月8日だな』
「そやな」
『誕生日、おめでとう』
「…え?」

一瞬、その言葉の意味を反芻した。今日は何日だって?昨日が七夕だったから、今日は…。

「今日って、7月8日?俺の誕生日?」

夜中という事を忘れて、つい大きな声を出してしまった。確かに今日は俺の誕生日だ。でも自分ではすっかり忘れてしまっていた。

やっぱりお前、忘れてた、と笑いを含んだ声がした。

『忘れてると思ったんだ』
「えー、うん、忘れとった。ほんまに。そっか、今日は俺のバースディか」

この年になると自分の誕生日というのも、さほど重大な行事でもなくなる。七夕という事は覚えていたけど、その次の日が自分の誕生日というのはすっかり頭から抜けていた。そうかそうかと納得したところで、ふと気付く。

「…え、ひょっとして、たつぼん、それを言う為に?」

珍しいたつぼんからの電話。夜の電話は初めて。何か用事があるわけではなく、声が聞きたかったから、何となく話がしたかったから。そんな風なのかな、と思っていたけど。それはそれで嬉しかったんだけど。

『悪いかよ、だって一番に言いたいじゃん、…俺たち付き合ってんだし』

ぶっきらぼうな声で。でも俺の口元を緩ませるには十分な言葉で。俺に取って物凄く嬉しい用件があったんだな。

「悪ない、ぜんっぜん悪い事、あらへんよ。むしろめっちゃ嬉しい。んで、びっくりした」
『お前、本当に忘れてるんだもんなー』
「まるっきり、頭になかった。気付かんうちにイッコ年取る所だったわ」

人間15にもなれば、自分の誕生日が滅茶苦茶目出度い日には成り難い。けど、好きなやつがその日を覚えててくれて、祝いの言葉をくれた事は、滅茶苦茶嬉しい事になる。おめでとう、という言葉がこんなに胸を弾ませるものだったなんて。小さい頃の誕生日に、大きなプレゼントを貰った時みたいだ。

夜遅くに誰かに電話を掛けるなんて、たつぼんに取って初めてだろう。電話が苦手、とも前に言っていた。多分、緊張していたに違いない。その彼が、勇気を出して起こしてくれた行動に、素直に感動せざるを得ない。

「たつぼん、ありがとな」
『そんなしみじみ言うな。恥ずいだろ。…明日、あ、もう今日か。部活の後、寄り道出来る?何か食いに行こうぜ」
「えー、ひょっとして俺のバースディパーティしてくれんの?行く、行く、絶対行くで」
『いや、別に、パーティとかじゃないけど。お前が一つ年取った日だし。なんか奢ってやるよ」
「うわ、たつぼん、めっちゃええ人。愛してるで」

現金なやつ、と呆れた声で言ってるけど、きっとたつぼんは笑っている。かくいう自分も喜色満面だ。

じゃあ、明日、いや、今日な、と律儀に言い直して、急いで電話を切ろうとしている。多分、自分の取った行動に今更ながら照れているんだろう。ほな、後でな、と俺も笑いながら受話器を置いた。

全く、キャラに似合わない可愛い事しやがって。つられて俺まで、嬉しくてドキドキしてるなんて可愛い事になってるじゃないか。これじゃ、興奮してしばらく寝られないかもしれない。

それでも早く寝たら、それだけ早く朝になる。それだけ早くたつぼんに会える。そんな事を思うなんて、やっぱり俺も非常に可愛い事になっている。


今日、学校で会ったら、彼はどんな顔をするのだろう。もう一度、直に顔を見て俺の生まれた日を祝って欲しい、と思う。出来るなら笑顔付きで。


終(2009/07/08)
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